システム

やりがいと給与

結論

やりがいと共に給与に反映されるシステムがよい

給与は成果次第で資格の取得ではない(国家資格除く)

勉強して成果を示した分、給与に反映される仕組みがあるとよい

やりがいは優先されるべきか

若いうちは「やりがい」だけでも良いでしょう。

歳を重ねるにつれて、給与も欲しくなるのは自然の摂理なのかもしれません。

それは、若い頃と比較すると比較にならないほど、生産性を提示できているはずなのですが、給与はほとんど変わりません。

 

看護師は「頭数」と考えている上層部が多い

これでは、単なる「頭数」に過ぎません。

頭数である以上は、例えば戦争での最前線で「1万人死亡しました」という報道に対し、「そうですか」という感覚と同じということです。

ところが、1万人の中には1万人分の人生があります。

ある人は、生涯孤独という人もいれば、ある人は沢山の家族や友人にとってかけがえのない人かもしれません。

どちらが優劣と言いたいのではなく、一人ひとりの人生があるということです。

それぞれの人生において、「そうですか」と一言で本来は片付けてはいけない事なのです。

ところが、医療職者の場合はどうしても頭数が優先されてしまいがちです。

医療は「診療報酬」という特殊な制度

それは、診療報酬という特殊な側面が大きく左右しているからです。

診療報酬は、普通の人は3割負担で医療を受けることができます。

処方を出す医師も、同じ効果で1万円の薬と2000円の薬を選べたとして、1万円の薬を選択(処方)したところで、自分の懐は全く痛みません。

痛むのは、国民全体の負担が少しづつ増えていくだけです。

このシステムも、医師免許さえあればどのような処方をしたところで、多くの場合は罪に問われることはありません。

つまり、医師免許という協力な武器があれば、どの薬を使用するかコントロールできるということになります。

看護師は勉強してもしなくても、給与は同じ

看護師の場合は、医師以上に頭数が優先されます。

どれだけ勉強して賢い人がいても、新卒の看護師でも診療報酬上は同じ看護師です。

質の低下は免れませんが、病院経営陣にとってみれば、数字だけをあわせるのであれば、看護師の数は新人が多いほど経営への健全化が図れるといえるでしょう。

頑張って仕事した先には何があるのか?

それは、上層部に「この人数でも回せるのね」と認識されてしまうだけです。

苦境を逆手に

ただし、これはこれで自分自身にとっては貴重な機会となりえます。

わたしの場合は、マネジメント系の本を沢山読みました。

行動に移さなければ、愚痴を言い続けても何も自分たちの仕事環境が変わらないことも実感しました。

苦境は人を成長させる機会になりえるというのは、半分はそうなのだと思います。

多分、若いうちは苦労したほうが良いでしょう。

忙しい環境で仕事を続けた場合、仕事内容を見直さなければ何も変わりません。

忙しいなりの仕事内容に改変し、削れる部分を削減する効率化が必要になります。

「生産性」を意識する

効率化とは生産性とも言えます。

生産性とは、レバレッジともいえます。

レバレッジとは、船を漕ぐオールのような意味を持ちます。

オールの手元はそれほど動いていませんが、先端は沢山動いています。

仕事の基本は、少ない労力で最大の効果を発揮させることが必要になります。

メリハリをつけるということでもあります。

仕事のできる人は、マルチタスクに見えますが、実際は1つ1つの仕事を素早く処置し、次の仕事に移っているようです。

緊急性と重要性

選択と集中で、これは「緊急性と重要性」の2軸テーブルが有名です。

最も早急に手をつけなければならないものは、緊急かつ重要ということになります。

とはいえ、何が重要なのか緊急なのかがわからなければ、手を付けることができません。

頭を使う練習をする

つまり、体を使うのではなく頭をまず使う必要があります。

賢さとは、問いを立てられるかどうかということです。

出された問題を解くのではなく、自分で問を立てることが必要です。

物事をクリエイトし、成長していくには自分で疑問を持つところがから始まります。

そのためには、練習が必要です。

問いを立てる、疑問を持つ練習をすることでできるようになってきます。

頭を使えば、効率的に体を使うことに繋がります。

医療の仕事は、割と肉体労働が多くなりがちです。

そこで陥穽に陥ってしまう可能性があります。

体を動かしていないと不安になるのは、看護師の特徴かもしれません。

そして、上司の看護師も同様の環境で働いてきたたため、体を動かしていることで安心してしまうことになりかねません。

やりがいは適職なのか

給与とやりがいは、相反するべきではありません。

これも、陥穽ですが自分がやりたい仕事が、適職であるとは限らないということです。

与えられた仕事に対し、最大限の能力を発揮することが必要です。

ところが、よくわからない移動制度が残っている病院もまだ多く存在します。

成果を提示しているのに、移動を強要した結果、成果を提示できなくなる場合です。

強みを活かす

これは極端な話ですが、各個人は強みがあります。

強みと認識している場合には、強みを最大限に発揮できる環境を提示してあげるのが組織として行うべき戦略になるはずです。

強みと弱みに関しては、学生時代の勉強と似ています。

学生時代は面白くなかった勉強が、大人になってからは面白くなる場合は沢山あります。

本来人間は、知識欲を持ちます。

知りたい欲は、勉強しなければ芸能人がー という(興味のある人には申し訳ないですが)どうでも良い知識ばかりを身に着けてしまうことにもなりかねません。

ただ、芸能人に関する知識も極限まで極めれば、それは仕事になりえます。

このように、中途半端な知識ではなく、深く深く追求する事は自分の強みを発揮する上で重要になります。

やりがいばかりを追求するとどうなるか

わたし自身も、給与のことは何も考えたことはありませんでした。

若い頃はそれでも良いのかもしれません。

就職の際も、給与の話をされたところで「給与には興味ありません」と言ったこともありました。

ただし、世の中はお金の勉強をしなければ、損することが増えます。

結論、お金の勉強はするべき

例えば、就職と同時に自分の証券口座に月収の1割づつ投資すれば、いつの間にかお金は成長していきます。

お金(給与)は自分の責任への対価とも言えるでしょう。

病院で働く限りは、自分という人間は看護師という頭数に過ぎません。

ただ、自分という人間を欲する組織が現れた場合、給与をこれだけ出します、という資本主義的に評価されるというのはとてもわかりやすいでしょう。

病院という非営利組織にも、競争の原理を

競争は、特定の領域を成長させます。

サッカー選手やプロ野球選手が、年俸いくらでした、とニュースでよく報道されています。

それは、プロフェッショナルとして「この人材」を欲しいという側面を、金銭で表現しているに過ぎません。

看護師もそのような、表現型があっても良いような気がします。

どうしても、お金のために働くという考え方は嫌われがちです。

たしかに、順番を間違えているからなのですが。

お金は、自然についてくるものであるべき

日本の(世界のことは知りません)看護師の場合は、いくらお金をかけて勉強しても、実践を提示しても給与は何もしていない人と、ほとんど同じです。

ときに、ボーナスで数万円程度の成果としての支給がある組織もありますが、勉強にかけた時間を差し引けば大きなマイナスになります。

そして、患者さんへの安全面でも使える知識は沢山あったほうが、当然安全性は向上します。

一言で、「こうあるべき」という言及は難しいですが、やりがいと給与がある程度パラレルに作用するようになれば良いと思います。

まとめ

給与かやりがいか、ではなくパラレルに作用する組織が理想

現状では、看護師は数合わせに過ぎない

自分たちで、資本主義的な組織運営があれば、みんな勉強するし成果も提示するかもしれない

現状では、看護師は全く勉強しなくても成立する職業(かもしれない)


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