看護

もしも看護部の偉い人になったら

結論

看護師が主体的に行動できるためには、看護師の権限を増やすということは選択肢としてあり

ただし現在看護師として勤務している人は、これ以上責任を負いたくないという人も多い

看護師がやめていくのに何もしない上層部は、大々的な変革が必要

つまりは、PDCAサイクルを構築できていないことも問題

データは客観的に眺め、介入すべき点を見極めることが重要

プロセスへの介入は、あくまでも根拠として明示されているものに限る

組織における看護の有用性

組織、といってもそのほとんどは病院になります。

病院で最も多くの職種は、看護師です。

組織経営がどうだこうだ、と言っていますが病院に利益をもたらすのは医師です。

これは間違いのない事実です。

医師が病院に利益をもたらすのには訳があり、現在の医療保険システムにあります。

医療を受ける多くは高齢者です。

高齢者の場合は1割負担になります。

医師が診察して、1割を患者さんが支払えば残りは国が支払ってくれるわけです。

このシステムを悪用している人もたくさんいるでしょう。

たとえば風邪という診断に対し、5種類以上の薬剤を処方する医師も珍しくありません。

風邪を治す薬はありません。

つまりは対症療法に過ぎません。

患者さんが、息が苦しい感じがするといえば気管支拡張薬を処方し、むくみがあるといえば利尿剤を処方します。

このように1:1対応の医療は、ベテラン医師であるからこその曲芸なのかもしれません。

たとえばむくみの原因は沢山ありますので、利尿剤を投与したからといって効くかどうかはわかりません。

もちろん過去の経験に裏付けられたアプライなのでしょうが、素人目には真似できません。

このような名人芸は、本来は避けるべきです。

なぜかというと、若手の医師が真似できないということが1つあります。

他には、看護師が勉強してもその診療内容を十全に担保できるだけの根拠に乏しい(テキストには書かれていないし、論文としても公表されていない)場合が多いからです。

つまり看護師の能力を活かすには、看護師でも分かるような(例えば論文に書かれているなど)診療の実践が行われるべきです。

よくわからない1:1のプラクティスは、尿路感染にレボフロキサシンとか、肺炎にセフトリアキソンとかそういうレベルです。

間が抜けていると言えます。

ウィトゲンシュタインは文脈依存性と言っていました。

例えば、尿路感染・肺炎と言われてもよくわからないということです。

どの様な重症度でどの様な臓器にどの様な細菌がどの様な背景の患者さんに、尿路感染や肺炎を発症したのかこそが重要になります。

肺炎といっても、経口抗菌薬で十分戦えるような肺炎もあれば、重症肺炎で人工呼吸管理やECMOや腹臥位が必要となるような肺炎まで様々です。

この様な市中肺炎のことを、CAPと読んでいます。

繰り返しになりますが、CAPと言っても様々で重症コロナもCAPですし、重症肺炎球菌性肺炎も重症CAPということになります。

一方肺炎を来す最も典型的な細菌は、肺炎球菌です。

肺炎球菌の場合は重症化も多いですが、軽症の場合はアモキシシリンの内服でも戦えることができます。

まずは、診断とは文脈依存性であるという点が1つあります。

もう一つは、診断の確からしさという点です。

診断における確定診断のゴールドスタンダードは、病理組織診断です。

病理医の見解を覆す診断を下すというのは、基本的に無理です。

組織を直接見ていますので、組織に間違いが無い限りはその診断は通常正しいということになります。

一方で臨床現場の診断は多くの場合、臨床診断になります。

つまり、これこれこういう診断基準があってその基準を満たしたから診断ね、というやつです。

この辺は恣意的に作成されていますので、診断の妥当性という点からは劣ります。

臨床診断とはいかに病理組織診断に近づけるために作成されたものですが、なかなか難しいというのが現状です。

例えばARDS(急性呼吸窮迫症候群)という診断があります。

これは、急激に肺が白くなって、心原性以外の肺水腫が原因で重度の低酸素血症を伴う病気ね、と決められました。

ところが、細かいところの発症から何日を急性とするのか、とか陽圧換気がない状態で診断できるのか、みたいな意見があり診断基準は改定されています。

本来はARDSの場合は、病理組織診断でDADというびまん性肺胞傷害のパターンになりますが、臨床的な診断と病理組織診断には乖離が在ることがわかっています。

つまり、ARDSと診断された人たちの中には、臨床症状は類似しているけど実はDADパターンじゃなかったということです。

けれども同じ治療をして一様に良くなれば、別に診断が多少異なってもそんなに問題にはなりません。

この診断が正しいかどうかは、とくに重症患者の場合は生死にかかわってくるので重要になるわけです。

ここでは診断の確からしさには、疑問が残るという点を挙げました。

ここで言いたいことは「考える」ということを放棄しないということです。

常に考えることで、疑問はいくらでも湧いてきます。

「考える」ことは、医師だけの特権ではありません。

看護師も同様に考えた結果を、患者さんにアプライする必要があります。

看護師は何故辞めるのか

昨今は看護師の大量退職が話題となっています。

わたしの場合も同じく、長年この業界で働いてきて看護の世界は少しおかしいと感じていました。

勉強しても報われないということが1つ挙げられます。

看護師の場合、医学的な勉強をしていると医学的な勉強して何がしたいの、という人がよくいます。

だから、というわけでも無いのですが、わたしの場合は読んでいてもわからない英語論文などを読んでいることが多かったです。

看護師が辞める理由は現場にあります。

現場で働いている看護師は、看護師がやめていく理由の7割くらいは理解しています。

残りの3割くらいは、組織運営面での知識は不足していると思います。

個人的には、主体性を持つ看護師の根をつむ様なことは避けてほしいと思います。

勉強するのが好きな看護師には、いくらでも勉強させてあげればよいしその強みを現場に還元できるような役割を与えるのが上層部の仕事です。

 

超過勤務も問題

看護師の場合、超過勤務が当たり前になっています。

つまり、5時で終わる仕事を8時まで残って終わらせるというのがDutyになっているのです。

なんで毎日8時まで残る必要があるのでしょうか?

それは、8時が終業時間にリセットされているからです。

5時に終わらない仕事であれば、終わるように仕事の内容を見直す必要があります。

見直さないことが当たり前になっていて、「過去の歴史があります」といって現状を新入職者にも強要しているのが現状です。

さらには他施設からきた、いわゆる既卒者(既卒という表現は個人的に嫌いで,経験者であるはず)が意見した場合は、極端に嫌われる傾向にあります。

当然、まずは受け入れる必要があるのですが、良い面はカイゼンしていく努力が必要なはずです。

このあたりは、主体性を持って進めて貰えればよいだけなのですが、そこにストップをかけているのが古風な上層部であることが珍しくありません。

声が通る人の意見をそのまま受け入れ、あの子は仕事ができずに文句ばかり言っている、という対象者の意見は受け入れない現行の看護は大きく見直されるべきであると思います。

そもそも他人をジャッジすることは、いろんな意味で無駄や論争しか生じさせません。

ジャッジせずに、強みを伸ばすような介入ができれば現行よりも健全なシステム構築ができるのでは無いでしょうか。

看護の世界はどうすれは良くなるのか

1つは主体性というのがキーワードになります。

看護の世界は、何をするにも「許可」が必要な場合が多いです。

例えば、休憩に行くにも自分では選択できず、リーダーの采配が必要です。

患者さんや家族に、病状はどうですか?と聞かれても医師に聞いてください、ということが多いです。

飲水や歩行についても、医師に聞いてくださいとなります。

この辺って、看護師はもっと無駄だと思うべきですし、もっと自分たちでアセスメントした結果を患者さんにアプライできるようにすべきだと思います。

看護師はもっとも患者さんに近いので、呼吸器設定や昇圧剤の調整なども本来は看護師が行うべきであるはずです。

けれども現状では、それはやってはいけないことになっています。

たしかに看護師特定行為の一部ですので、特定行為研修を履修していない方にとっては、やってはいけない行為なのかもしれません。

であれば、プロトコルを用いてできるようにすればよいのです。

プロトコルは医師が時々来て調整するよりも、圧倒的に早くことが進みます。

以前はよく医師が泊りがけで集中治療室の患者さんに対応している、ということをテレビで見た憶えがあります。

なんでベッドサイドで泊りがける必要があるのかと言うと、尿量や血圧など生理学的パラメーターを見て昇圧剤や輸液の調整を行っていたからです。

であれば、アセスメントできる看護師にそのあたりを移譲すれば泊りがけで集中治療室の患者さんに対峙する必要性は無いはずです。

さらに近年では、Tele ICUとって遠隔でICU診療がが可能なシステムも整ってきています。

このシステムが全国で可能となれば、内科的な管理に関しては集中治療室の平準化も可能となりますし、医師の負担も減ることが期待されます。

それでも現場で学ぶことは多く、いわゆる急変の場合は当たり前ですが遠隔ICUでは対応できません。

まとめると、看護師の仕事を測定し見直すという当たり前な結論になってしまいます。

これができないので、いつまでも同じことを繰り返してしまうことに帰結してしまうのかもしれません。

まとめ

看護には様々な問題がある

看護の上層部の考えは,古風な場合が多く変革を基本的には嫌う

新しいことがやりたい人は,長期間のプランで計画的に介入する必要がある

医療が健全化されれば,古風な看護師は少しづつ淘汰されていくはず

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