結論
- ジェネラリスト擁護派は、戦後の統制的考えが主
- スペシャリストかつジェネラリストという考え方は、強みを活かすということ
- 医療において、強みを活かすことは必要だけど、全体を俯瞰する考え方も必要
ジェネラリストとは
看護においては、ジェネラリストという考え方が一般的であるように感じています。
もちろん、この考え方には異論を唱える人もいます。
わたしも、その一人です。
ジェネラリストとは、とても幅の広い考えを持ち実践できる能力のことです。
けれども、看護の上層部がジェネラリストという理由の一つは、便利に使える看護師という側面を持つというのも事実です。
戦後の日本は、統制されたジェネラリストの考え方が浸透しました。
最近ではこの考え方が間違っていることが示されていますが、日本人の多くは未だにこの古典的な考え方を踏襲しています。
つまり、言うことを聞いてくれる人がジェネラリストとして、高評価を得ているのが、いまだに日本の現状であると感じています。
看護師は、移動も珍しいことではありません。
例えば、内科病棟から外科病棟への移動もあります。
救急看護認定看護師が、慢性期病棟へ移動になることもあります。
全体をマネジメントする人材が、ある目的を達成するために、そのような人員配置を課すのであればそれは正しいと思います。
けれども、個人の成果を出せないようにするための移動は、正しい選択ではなく、むしろ有害となる可能性を秘めていると言えるでしょう。
例えば、近年は総合診療科という診療部門もあります。
まだ、少数派と言わざるを得ないと思いますが、個人的意見としては有効に機能していると考えています。
特に高齢者が医療のメインである現代においては、併存疾患が問題となってきます。
さらには、退院後の生活を見据えた、病気ではなく患者さんを診るというスキルが必要になります。
このような総合的な能力は、特定の診療科ではなく、総合的に診療を行うスキルを得たものこそが成果を発揮できます。
スペシャリストとは
極論ですが、例えば心臓外科医で手術だけをする人はスペシャリストといえます。
そのような人材は、手術は一級品ですが、診断や術後の治療においては、他の専門家に劣るということになります。
つまり、多職種協同チームとしての在り方が実践されます。
例えば、感染性心内膜炎の診断は時に困難を極めます。
ようやく診断できたとしても、抗菌薬治療だけでは対処できない場合もあります。
そのような場合には、外科的介入が必要になります。
そのため、外科系の医師は全般的にスペシャリストと言えるのかもしれません。
逆に、周囲は手術に集中できるシステム構築が必要といえます。
例えば、術後管理などは術者と術後の注意点を話し合って、専門家が行うというのが好ましいように思います。
外科の周術期であるからと言って、外科医が周術期管理をできるわけではありません。
当然、心臓外科術後の場合は心停止となることもあると思います。
そのような場合は、一般的な心肺蘇生法ではなく、再開胸が必要になります。
つまり、周術期管理は専門家同士が連携を取る必要があり、その連携こそが成果を提示できるのだと思います。
看護においてのスペシャリストも同様です。
成果こそが、当該看護師がスペシャリストであるという所以になります。
成果も示さずに、スペシャリストですと言っても、「それはあなたの感想ですよね」ということになります。
客観的な指標を持つということは、ナイチンゲールが示した最も大事なことであると言えます。
ジェネラリストとスペシャリスト、結局どっち
どっちもあり、だと思います。
結局、客観的指標こそが全てです。
外科の場合であれば、周術期合併症などが指標の一つになるでしょう。
そこに看護師が加わることで、どのように周術期の成績が変わるのか、という部分が少なくとも急性期病院においては、メインの評価方法になります。
看護師はどうしても、自分たちの枠の中だけで物事を考えようとしがちです。
ナイチンゲールが行ったことは、分析しその結果を実践し、実践した結果を振り返ったというそれだけです。
その結果、死亡率の改善など有益な成果を提示しています。
ナイチンゲールの考え方は、現代の新型コロナウイルス感染症における戦略と、全く同じです。
この未知のウイルスはわからないことばかりでしたが、世界中の医療者が有益な感染症対策や治療法を提示した結果、かなり対策がまとまってきています。
まだまだ余談を許しませんが、制圧するのも、あと一歩かもしれません。
まとめ
- 看護師はスペシャリスト的なベースの上に、ジェネラリストの2階建てが良さそう
- それは、強みを活かすということ
- 強みを活かしつつ、多職種共同でジェネラリストとしての実践を行うことで成果を提示できる