日々の記録

第7回日本NP学会学術集会

結論

  • NPとは、診療看護師(NP)のこと
  • 一部の医師業務を担う、看護の延長線上にある高度実践看護師
  • 学会に参加して、少しずつ確実に進歩している
  • 割と、NPの未来は明るいかもしれない

診療看護師(NP)にまつわる用語の定義について

診療看護師(NP)とは、主に米国のNurse Practitionerを参考に創出されました。

いわゆる、学会周辺の団体が規定している民間資格になります。

民間資格ということは、診療報酬上の優位性も殆どありません。

法律上は、特定行為が可能な看護師というくくりになります。

診療看護師(NP)に携わる用語はいくつかあります。

  • 診療看護師(NP)

  • Nurse Practitioner

  • ナースプラクティショナー

主に、この3つの用語が用いられています。

日本の場合は、診療看護師(NP)という、カッコまで含めた名称を学会は推奨しています。

ちなみに、学会の名称はNP学会という一見よくわからない名称になっています。

学会の名称とNPの呼称は統一しても良いような気もしますが、そのへんは特に学会員や学会の偉い人が決めることなので、わかれば良いと思います。

診療看護師(NP)という名称

わかれば良いと書きましたが、まだまだ日本に600名程しかいない民間資格ですが、個人的には分かりづらいと感じています。

医療において病気を認識する際に最も重要なものは「診断名」です。

つまり、診断は誰が見てもだいたい同じような病気の状態を想起することができる状態にある、という前提にあります。

例えば「肺炎」であれば、肺に炎症が起きている状態と認識できます。

肺炎を見たことない医療者は、おそらくいないと思いますので、肺炎の重症度は別として、どういう状態かというのはなんとなく想起することができます。

一方、有名な病気で「川崎病」という診断名があります。

この場合、言語からはどのような病気なのかは全く想像できません。

先日、この病気の生みの親である川崎富作先生もお亡くなりななられました。

この一見分かりづらい病気ですが、現代では川崎病も浸透して医療職者であれば、なんとなくわかるようになってきました。

つまり、診療看護師(NP)も現代では一部の医療職者を中心とした人しか、分からないかもしれません。

今後、川崎病のように少なくとも、医療職者であればわかるようになってくるのかもしれません。

とはいえ、名称は割と重要なのではないかと思います。

このまま「NP」の名称で行くのかどうかは、世間の反応を含めて決めていくべきなんじゃないかな、と思います。

NP学会学術集会

NP学会学術集会は、第7回となり年々盛況となっています。

実は、NP学会学術集会が開催される前の、研究会のようなものも大学で開催されていました。

当時と比べると、だいぶ成長していると思います。

第1回は大分の、県立看護大で開催されました。

それ以降も、大学での開催が続き、第5回でようやく大学以外での開催となりました。

第6回はWeb開催、第7回が今回の開催となりました。

第8回は、また大学での開催に戻り、アクセスも悪くなるのでちょっと残念です。

個人的に変わり始めたと感じたのは、初のWeb開催となった第6回からです。

何がどう変わったのか、と言われると説明しづらいのですが「Passion」だと思います。

ちなみに、第6回から大会長が診療看護師(NP)になっています。

当然のことですが、診療看護師(NP)の事は当事者(NP)にしか分かりません。

看護師のことは、診療看護師(NP)でもわかります。

看護師なのだから当然です。

けれども、医師と同じ様な業務を行う診療看護師(NP)だと医師のことをわかるのか、と問われると「少しは分かる」程度だと思っています。

結局、同じことをやっていても、医師と看護師の溝はある程度あります。

けれども、この職種感の「溝」こそが診療看護師(NP)のメリットであるともいえます。

日本の診療看護師(NP)は、独立して診療を行うことはできません。

能力的には医師よりよほど優れていても、それは違法となります。

そのため、診療看護師(NP)は変な言い方をすれば、法の隙間を縫って活躍していると言えます。

そんな看護の延長線上とも言える活動の報告が増えてきたことは、大きな成長です。

診療看護師(NP)はどのようにたち振る舞うべきかと問われると、あるときは医師業務であるときは看護のスペシャリストでもあります。

けれども、最も重要な責務は看護の「資質の向上」に尽きます。

なぜ、看護の質の向上が重要なのかというと、看護の質が低いからです。

これは、敢えて語弊を招く表現も用いました。

正確には、看護の能力を発揮できるフィールドが用意されていないからです。

日本の看護師の多くは、決められた枠の中で活動しています。

その枠を超えることは許されず、仮に枠を超えて活動している看護師がいれば、変わり者扱いをされていまいます。

けれども、診療看護師(NP)のような、一見変わった看護師がいれば、それも甚だおかしいことではないと看護師は認識してくれるかもしれません。

医療における活動に、枠を設けてしまうと、同じような人材しか育ちません。

これば、大きな問題です。

個人的な意見ですが、診療看護師(NP)は、看護師の資質の向上に寄与するような活動をすべきです。

まだまだ、シースを入れたり、ドレーンを入れたりする、グレーゾーンに存在意義を見出している人もいるかもしれません。

けれども、そのへんはNext stepで良いのではないかと思います。

診療看護師(NP)の今後の立ち振るまい

まずは、このような職種が活躍していることをアピールすべきです。

わたしを含めて、多くの施設では診療看護師(NP)を導入していた場合でも、ホームページを含め、大々的になくてはならない存在としてアピールしているシチュエーションはすくないです。

これは、逆説的ですが組織は診療看護師(NP)という人材をWelcomeしていたとしても、結局は「よくわからない存在」としか認識していないのかもしれません。

つまり、当事者自身が考え、行動に移すことが必要になります。

普段、どのような活動をしているのか?

現時点で最も効率の良い方法は、インターネットの活用です。

ホームページも、更新されなければ何を行っているのかは分かりません。

多くの施設で、同時多発的なアピールが必要だと考えています。

診療看護師(NP)に限りませんが、成果に依存するべきだと考えます。

例えば、血管内治療の携わる診療看護師(NP)がいたとしましょう。

その診療看護師は、血管撮影の際のシースを医師の代わりに入れ、その成功率を学会で発表したところで世間の感想は、「シース入れられる人なのね、Illegalじゃないのかな」程度の感想で終わる可能性があります。

そうではなく、もっと原点に立ち返り「診療の補助」として何ができるのかを考えても良いと思います。

特定行為と診療の補助を組み合わせれば、たくさんの可能性が見いだせます。

なにも、シースをいれたり、CVを入れたりド派手なことをする必要はありません。

件数が増えれば、いつか重大な合併症を生じます。

そのうち、基本から脱却自分のやり方で行う診療看護師(NP)も増えてくるはずです。

でも、そうではないでしょ!

ということを、やんわりと教えてくれたのが今回の学会だったと思います。

全体的な感想

チーム長崎で、ちょっと頑張りすぎなんじゃないかと、心配でした。

もっと、テーマであるコラボレーションして、自分たちの仕事は積極的に分散させ、日常生活プラスαくらいで運営できるようにしていくべきかもしれません

自分の頑張りは、x1倍にしかなりません。

けれども、例えば100人いれば、一人0.1倍頑張ればそれはシナジーとなり、x100倍ではなく100乗の成果が発揮できるはずです。

とはいえ、看護における高度実践という観点からは、科学的な発表も多くあり、とてもPassionをもらえました。

まとめ

  • NP学会学術集会は、毎年バージョンアップしている
  • ただし、一部ですが世間の自己流を貫く診療看護師(NP)には何も響かない
  • そのような看護師を含めて、すこしづつ在り方を正していけるものだったと思います

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