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結論
- 報告会なら、メールで十分
- 報告会なら、事前にメールで周知し改善案について話す
- 会議は、自分にとっては5分かもしれないが、5分x参加者分の時間が搾取される
- そもそも、全員が発言しない会議は会議ではない
- そろそろ、テクノロジーを利用する
- 会議の発言を文字起こしすると、無駄に気づける
- 会議で行うべきは、A案B案のいづれかの採択と具体案
- つまり、行動するための計画案が必要
会議は他人の時間を搾取する
日本だけではないかもしれないが、日本の組織に会議が多いのは事実であろう。
それは、病院も例外ではない。
特に病院という組織は、多くが国家資格者である特殊な空間である。
さらに、人の命を扱う極めてナーバスな場所でもある。
ところが、医療における何かを話し合うための会議がとにかく多い。
常に、会議を行っている。
しかし、会議の内容はなかなか知る由もない。
最近は、新型コロナウイルス感染症に関連した会議の内容は、メールなどで共有されることも増えてきている。
本来、会議とは組織のために行っているものであり、全員が周知すべきことである。
よって、メールなど紙媒体以外でかさばらないものを介して閲覧できるシステムは、極めて有用な周知方法である。
会議の時間は、通常事前に決まっている。
1時間だと仮定しよう。
その1時間を有効に利用するためには、会議に参加するものの事前の準備は必須である。
でなければ、どうでもよい話で大概は時間を終えてしまう。
そして、その貴重な1時間は、参加した人数分の時間を搾取しているということに多くの人は気づいていない。
これは、犯罪といってよいほどのことである。
時は金なりとはよくいったもので、この1時間の使い方は貴重に使われるべきなのである。
参加者が24人いた場合、24時間の時間を搾取していることになる。
会議を企画運営する方は、そのあたりを十全に心得て置くべきである。
報告会になっていないか
ダメな会議の代表が、報告会になっていることである。
報告するだけであれば、日本人の場合少なくとも日本語は概ね理解できる。
つまり、メールなどで対象者に事前に周知すればそれで終わり、となるはずである。
けれども古風な考えなのかはわからないが、事前の周知もなく延々と報告を行う人は少なくない。
そして、被害者であるはずの参加者もその報告を聞いて、妙に納得しているので実は加害者の1人となっている。
仮に、報告会になったとしても、事前の資料を読んで具体的なカイゼン案を提示し、その案を走らせるのであれば良い。
しかし、報告会にお互いが満足しているので、結局は時間泥棒になってしまう。
繰り返すが、24人参加の会議では14時間分の時間が捨てられている。
テクノロジーを利用し、空いた時間を有効に使う
一同に介して、あーでもないこーでもない事をお喋りする会議を、どうにかカイゼンできないだろうか。
答えはたくさんあると思うが、答えの1つとしてテクノロジーの利用である。
たとえば、既に古典的ではあるがメールで事前に会議の内容を周知しておけば、イントロは不要になる。
別に媒体は、メールで無くても良い。
LINEでも何でも良い。
チャットは、レスポンスが比較的早いので個人的にはおすすめだと思う。
毎度毎度、「平素よりお世話になっております」というのは、効率が悪すぎる。
ではなぜ、この顔を直接合わせない方法が良いのだろうか。
1つは、空いた時間に作業が出来るということは大きな利点である。
1日のうちに、空いた時間というのはほとんどの人に存在する。
ところが、多忙な平日の日中の空いた時間となると、その時間を捻出するのは難しくなる。
また、平日日中の1時間と平日夜間の1時間と休日日中の1時間では、それぞれの1時間における価値が異なるはずである。
当然、読みが得意な人もいれば、話が得意な人もいる。
古代から受け継がれてきた、古典の素晴らしさに気づければ、直接話す事よりも文字を介して議論するという選択肢もありだと思う。
テクノロジーは、文字の共有だけにとどまらず、必要に応じて様々な手段があるので、とにかく色々試されてみたい。
話したことを文字起こししてみる
会議の多くの無駄な時間を占めるのが、よくわからない、しかも長い個人的な話である。
この場合は、これらの発言を一度文字起こし、その発言を会議録にそのまま記載すればよい。
いかに、無駄な時間を使っているのかが分かるはずである。
特に近年は、喋っている傍からかなりの精度で文字起こしが可能となっている。
これらのテクノロジーも有効利用するのも、おすすめである。
話は変わるが、日常のプレゼンテーションについても、録音や文字起こしをすると、自分が如何に変なことを言っているのかが分かるはずである。
そしてその時間は、会議と同じく不毛な時間になる可能性を秘めているのである。
具体的に”行動計画”をたてる
では、会議で最も重要なことは何なのであろうか。
それは、現在を知るということである。
カイゼンをしたいといっても、今の状況がわからなければカイゼンのしようがない。
さらに、何かを始めたとしてもそれはただの自己満足に過ぎず、どの程度カイゼンしているのかが全くわからない。
必要なのは、より狭くより具体的にである。
まず、現在このような状態で〇%の達成率なので、〇〇を介入したことで、何%までカイゼンするのかを知りたい、といった感じである。
この流れが、PDSAサイクルである。
クラシカルであり批判もあるが、PDSAサイクルとは実によくできたものであると感じている。
何もわからない状況なのであれば、まずは現在どのような状況なのかを詳しく調べることに注力すべきである。
枠から飛び出そう
診療看護師の会議でよくわからないのは、我々は看護ですから、と言っておきながら胸腔ドレーン留置や中心静脈留置、手術の見学などを積極的行い、学会発表し、それを自慢しているということである。
看護師に限らないが、看護という枠から飛び出さない限りこれ以上の発展はない。
わたしが、このようなことを発言すると看護師の特に年配の方には毎度、猛反対される。
ナイチンゲールは、看護の枠の中で戦ってきたのでしょうか。
ある意味看護だが、看護の枠の外に出たからこそ華麗な功績を統計学的に(科学的に)分析したのである。
狭い世界からは、積極的に飛び出してほしい。
まず自施設の看護というものがあり、さらに日本の看護、世界の看護、ざっくり看護とはたったこれだけとも言える。
世の中には、看護以外の仕事もたくさんある。
世界のアントレプレナーは、宇宙を見据えている。
自分たちの会議を、客観的に見る能力が必要なのである。
客観的に見れないと、いつまで経っても看護という狭い枠の中にとらわれてしまう。
落合陽一氏は、ワークライフバランスではなく、ワークアズライフを提言している。
常に、仕事なのだが、異なる仕事との融合こそが、シナジーを発揮する。
だからこそ、枠を一度取り払っていただきたい。
決して勘違いしてほしくないのは、医師の業務を担うことが枠を取り払うということではない。
まとめ
- 会議の多くは不毛な時間
- 生産性を意識する
- テクノロジーを使う
- 枠を取り払う
- 会議で話し合うべきは、より狭くより具体的に
- 無駄な時間に気づくには、様々な測定は有用