システム

医療におけるイノベーションが起こりづらい理由

結論

  • 現行では、極端なイノベーションを起こすのは難しい
  • 少しづつ変えていく、上司を変えていくというのが戦略の一つ
  • 原則として共通していることは、ヒントは現場におちていて、現場の人はその問題に気づいているということ

日本でイノベーションが起こりづらい理由

 

戦後の日本は、高度経済成長を迎え急速に発展を遂げました。

なぜ、現代において過去、これほどまでに成長してきた日本という国が衰退している理由は一体どこにあるのでしょうか。

戦後の日本は、全てを失ったと言っても過言ではありません。

戦争のことは不案内なのですが、至るところで焼け野原があり、そこからのスタートでした。

つまり、何かを変革しようにも、原点が”ゼロ”に近い状態ですので、全てを受け入れるしかなかったと推測することも可能です。

乾いたスポンジが水を吸い込むように、急速に変革を遂げることが可能です。

 

例えば、携帯電話

 

携帯電話も、比較的急速に拡大しました。

とはいえ、当初は家の電話がありましたのでそれで十分という人も一定数いました。

少しづつ携帯電話を持つ人が、マジョリティとなり、あまり興味のなかった人たちまでも携帯電話を持つという風土ともいえる風潮に押し流された結果、携帯電話を持つ人が増加したといえます。

この場合、絶対に携帯電話を持たないと決めている人もいたでしょう。

大体5%程度でしょうか。

今では、この5%もマイノリティとなり、さらに減少しています。

最初の流れを作るところが重要になります。

携帯電話の場合は、連絡の手段という観点から、生活に密着していたという事でこれほどまでに拡大したと言えるでしょう。

とはいえ、現代では携帯電話の電話機能を使うひとも、減少しています。

わたし自身も、ほとんど携帯電話での会話機能を使うことはなくなりました。

メールやLINEなどの連絡手段をはじめ、近年ではZoomなども使うことが可能です。

電話の場合は、相手の都合を選ぶことができないため、個人的には好きではありません。

例えば、スマートフォン

 

スマートフォンも携帯電話と同じです。

当初は、携帯電話で十分といっていた人たちも、その便利さとスマートフォンを持つ人がマジョリティとなったことで、なんとなく持ち始めたというケースも多いと思われます。

スマートフォンも、携帯電話の場合の固定電話と同じく、そんな機能は不要と謳っていた人たちですら、最終的には使っています。

これら生活を変えたともいえる、スマートフォンですが、導入順序としては年齢が若い人から広まっていったような気がします。

 

歳を重ねると、イノベーションを起こしづらくなるのか

 

先のスマートフォンや携帯電話のケースを見ると分かりますが、多くは若者を中心に始まっています。

当然ですが、年を重ねてもアクティブに活躍されている方では、スマートフォンの導入になんの躊躇もなく導入されていました。

一般的に高齢者のほうが、なぜ新しいものへの導入を躊躇してしまうのでしょうか。

わたしも、年を重ねてきていますが、新しいものへの挑戦を行っていきたいとは考えています。

それでも、意識し続けなければ現状の生活に満足してしまいます。

新しいものを導入するには、労力を使います。

例えば、引っ越しで住む場所を変えるということは、大きな労力を使うことになります。

高齢者のおおくは、介護が必要となり引っ越しを余儀なくされることがあったとしても、何かを目的とした引っ越しをアクティブに行っているという人は少ないように思います。

バスや電車を使い、近所の人同士の比較的狭いコミュニティで活動を行い、余生を送っている方が多いように思います。

この比較的狭いコミュニティで生活していくのが、決して悪いことではありませんが、わたしが高齢者になったとしても、先進的な取り組みを続けて行きたいと考えています。

例えば、高齢者になってから、ブログやYoutubeに取り組み、収益を上げている人もいらっしゃいます。

大学に通いはじめる人もいらっしゃいます。

高齢者は、日本における生産という観点からは、過去の人材と言えるかもしれません。

とはいえ、その経験は歩みを止めていいということには繋がりません。

高齢者には、過去の日本や世界を創り上げた人たちですので、その知恵を賢く使い歩みを止めるべきではありません。

例えばアフリカ

 

中田敦彦さんのYoutube大学という、Youtubeチャンネルがあります。

そのなかで、これからの世界の中心はアフリカであるという書籍を紹介していました。

この予想が当たるか外れるかは、置いておき、イノベーションの広がり方に個人的に興味を持ちました。

アフリカといっても、膨大な土地を持ちますので、ひとくくりにはできませんが1つ言えることとしては、途上国が中心であるということです。

アフリカにわたしは行ったことはありませんが、首都が発展を遂げていた場合でも、世界からみたアフリカは途上国といえます。

果たしてこのわたしの見解は、ファクトなのでしょうか’。

ファクトフルネスという、ハンス・ロスリングが書かれた書籍では、わたしが持っているような一般的な見解の多くが間違った認識であることを指摘しています。

つまりアフリカは、わたしや世界の多くの人が持つ印象である、途上国という認識は間違っている可能性すらあると言えます。

中田敦彦さんは、なぜ「これからの世界の中心はアフリカである」といったのでしょうか。

個人的にしっくり来たのは、先に書いたように日本でいう戦後に近い状態であるからです。

アフリカも、この状態に近いと考えるととてもしっくりきます。

世界の先進国では、スマートフォンが一定数普及し、もはや3巡4巡5巡している状態といえます。

このような状態になると、途上国にすらこれらのインフラが整備されることになります。

インターネットさえつながれば、銀行も不要ですし財布も不要な世の中になっています。

全財産は、現代では財布にあるという場合はもはや少なく、多くの人はネット銀行とネット証券口座を駆使して、スマートフォンの中に全財産を持っています。

そして、支払いもピッとするだけで終わりです。

高齢者の話に戻ると、これらのデバイスを使いこなすことができなければ、これからの現代では生きていくことが難しくなってきます。

もっと生活をスマートにする必要があります。

振り込め詐欺も、現金が中心になっているため、起こりやすい状況である可能性もあります。

 

医療の場合

 

タイトルの話の、医療におけるイノベーションの話の場合も基本的にはこれらの論理と同じになります。

つまり、老害や高齢者の変革を嫌う事が、これらの変革を阻害することになっています。

先の話での、電子決済サービスを利用することで、現金を持ち歩く必要もなくなりますし、どこでいくら使ったかということもわかりますので、導入しない手は無いはずです。

ところが、電子カルテをそもそも使いこなせていない人が、先輩医療者には多いです。

電子カルテの導入には、誰かがこのような形で行きましょう、という事を決める必要がありました。

その際に、電子カルテ導入委員のような方々が考えたのは、紙カルテをそのまま電子カルテに導入したという、愚策です。

つまり、紙カルテは使いやすい(と思いこんでいる)から、電子カルテは便利だから組織として政策として導入する必要がありました。

その結果、紙カルテを電子カルテに導入してしまったのです。

その結果、すべてのオーダー類を一度紙に印刷して、その紙で運用しているのです。

これでは、ペーパーレスは一向に良くなりませんし、電子カルテの利点を全く活かせていません。

このように、不都合と思いこんでいることに対して、若者が言及したとしても、これでやってきたんだからと一蹴されて終わりです。

年配の方々の頭の中は、凝り固まっている人が多いです。

メールをしても、そのメールをわざわざプリントして持ち歩いています。

すべての書類を、わざわざプリントして持ち歩くことの意味がわかりませんし、不合理です。

繰り返しますが、医療ではこれが多く行われています。

とはいえ、施設により紙運用の頻度は異なりますが、現在の施設ではほぼ100%紙運用という、愚策がまかり通っています。

点滴を出しても、紙が出てきてそれで運用されます。

そして、その点滴を修正すると、また紙が出てきます。

紙運用の欠点は、タイムラグが生じることです。

紙伝票はいま現在のオーダーではないです。

そして、紙をプリントして直接渡すまでが仕事ということになりますので、渡すまでのタイムラグも生じます。

1日経てば、病棟のダンボール箱はシュレッダーゴミでいっぱいになります。

これで医療事故が減少すればよいのでしょうが、残念ながらとても効率的とは言えません。

医療者に必要なことは、まずは紙からの脱却ではないでしょうか。

紙からの脱却が可能となれば、イノベーションを受け入れる土壌も整ってきます。

そうなれば、より良いイノベーションをたくさん導入することが可能となります。

どこを向いているのか

 

現代の医療は、どこを向いているのかというと、自分です。

自分たちの保身ばかりを考えています。

当然、それは過去の判例などにより、そうすべきといわざるを得ない状況下にあるからです。

例えば、病院内での転倒は医療事故とみなされます。

それを、予防する目的で患者さんを縛り付けます。

俗に言う身体拘束です。

安全が目的なのですが、実は安全ではありません。

当然、歩く機会は減ります。

歩く機会が減ると、筋力が低下し、転倒はより増加します。

そして、安静にしている期間が増加すると、血栓症などの合併症が増加します。

当然、肺炎なども生じやすくなります。

どこを向いているのかと言われると、自分たちの保身と言わざるを得ません。

身体拘束をされて、嬉しい人は殆どいません。

当然患者さんが暴れるのも、自明の理といえます。

そんな日常に違和感をもち、変革していこうとする気概と仲間の存在は非常に重要になります。

 

何が必要か

 

なぜ、自分の保身しか考えないのかというと、そのような教わってきたからです。

でも、本来はインフォームド・コンセントにより医療は成立するはずです。

インフォームド・コンセントとは、日本語だと「説明と同意」と訳されています。

例えば、手術をする際には、〇〇の合併症が生じる可能性があります、といった具合です。

個人的には、転倒も手術と同じだと思っています。

つまり、視点が患者さんに向けば、この患者さんは歩かせることが必要と考えます。

けれども、転倒のリスクもあるとします。

その場合は、患者さんの希望を確認し、説明と同意を取得します。

その結果、トイレまで歩いていきたいと希望する患者さんの場合は、歩いてトイレに行かせることが必要になります。

逆に、病院内での転倒は筋力が低下しても良いので絶対に避けたい、と患者さんが希望されるのであれば、その後の臨床経過を踏まえて説明し、身体拘束も許容されると考えています。

 

まとめ

  • 変革とは、常に考えなければ成し遂げることは困難
  • 特に医療界では、変革が行われにくい土壌が整っている
  • 少しづつ、患者さんの方向を向いて、根拠を持って良いことを勧めていくことが必要
  • 最も手っ取り早いのは、老害と呼ばれる人たちの思考を変えるか、邪魔しないようにさせることだが現実的ではない

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