総合診療内科 診療科

わたしが総診で学んだこと

結論

  • 総合的に”みる”能力が向上した
  • ”教える”という事が教育であるということも学んだ
  • 教育とは、教えることにより成立するものであることを学んだ

はじめに

 

わたしが何故このようなテーマで記事を書こうと思ったのか?

それは、部署の移動に伴い客観的に評価可能となったからである。

例えば、日本のことを客観的に評価するためには、海外から日本を”みる”事が最も手っ取り早い。

日本の外から、客観的に日本という”国”を見つめることで、良い点や改善すべき点が見えてくる、はずである。

残念ながらわたしの場合は、日本という国を諸外国から見つめたことはない。

とはいえ、常に客観的に”みる”能力に関しては、意識しているつもりである。

自分を客観的にみるための能力を、「メタ認知」といわれます。

これは「認知の認知」ともいわれ、自分を客観的に見ることのできる能力ということになります。

客観的に自分を見つめ直すということは、職種や年代を超えて、全ての人に対して必要な”スキル”です。

例えば、学生時代は勉強のスケジュールを決めるために、スキマ時間がないかをメタ認知して探し出す。

大人になってからは、将来を見据えて、投資を行う。

一部の人は、子育て中の自分の言動や行動を、ビデオにとって客観的(俯瞰的・鳥瞰的)に見つめ直す。

このメタ認知の能力により、子育てへのスキルは向上するはずです。

子供への教育は、躾(しつけ)とも言われますが、躾はイコール教育であるはずです。

躾と教育を分けて考えるということ自体が、おかしな事象であったのかもしれません。

例えば、躾は家庭で、教育は学校で、といった認識がある方もいらっしゃるかもしれませんが、全てのシチュエーションにおいて、教育が必要であり、教育の一部としての躾という位置づけですので、学校の如何によらず必要ということになります。

わたしは、総合診療科で貴重な看護師としての経験を積む機会がありました。

そして、他の診療科でも同様の経験がありました。

わたしの中では、総合診療とはコアスキルといってよいほど重要かつ主要なものです。

つまり、最低限取得すべき知識やスキルの一部(Minimul requirements)があり、その守備範囲をより深く・より広く実践されているのが、総合診療を生業にされている方々になります。

全ての診療科に通じることで、絶対的に間違いでは無いことが1つあります。

全ての医学的な事項は「内科」が中心であるということです。

例えば、心臓の手術が必要な方がいたとします。

心臓外科医は、手術を勧めますが、そもそも内科一般的な知識がなければ、手術の適応も判断できません。

結局は、手術と一言で言っても、手術を行って良好な転機となる可能性がない限りは、時間や医療費の無駄ですし、患者さんにも多大な不利益を被ることにもなります。

このあたりの手術の適応も踏まえて、内科一般的な知識が必要であるという結論にわたしの場合は行き着きましたし、実際医学の基礎は内科学(Internal medicine)ということになります。

 

教えるということ

 

総合診療と一言に言っても、いろんな人がいらっしやいますし、いろんな総合診療があるのだと思います。

わたしの感想では、総合診療医は総じて教えるのが上手な傾向にあります。

教えるとは、ソクラテスの言う「無知の知」までも含めた介入が必要です。

例えば「なにか質問ありますか」と問われても、何がわからないのかがわからないという状態になります。

これを、ソクラテスは無知の知と呼びました。

つまり、知らないことを知らないということです。

看護師さんにも多い傾向があります。

知らないことを知らないので、強気に出ているという可能性もあります。

知っていれば、そんな簡単に医師のことを罵倒できないはずです。

話を戻しますと、質問がないイコール”分かっている”わけでは無いということです。

分かっていないから質問が出ないのです。

そこで、話を膨らませてあげると「わかりません」という回答が得られます。

結局それは、分かっていないということに等しいということになります。

つまり、分かっていないということを理解させる必要があります。

以前この「分かっていないことを分かる」ということについて、救急の看護師さんに話したら「そんな難しいこと言われてもわかりません」と言われました。

たしかにこのような意見は貴重な意見ですし、看護師は”何も分かっていないし、分かろうともしていません”という事なのだと思います。

言われた方のわたしも、同じ看護師としては悲しい気持ちにはなりましたが、そのくらい何も分かっていないということは事実です。

ただしこの言い方には語弊があり、全ての看護師において学ぶ姿勢が皆無ではない、ということです。

一部の看護師はよく勉強していますし、患者さんに対する姿勢も素晴らしい人もいます、ということは補足しておきたいと思います。

テーマに戻りますと”教える”という事が必要ということです。

これは至極当然の事のように思いますが、質問に答えるということが教えるということではありません。

過去の臨床での経験や知識を踏まえて、大切な事を確認しつつ分かっていないようであれば、対象者が分かるように説明するということです。

このプロセスは、インフォームドコンセントと同じです。

医療の素人である患者さんは、何もわからないところからスタートします。

1回の説明で全てを理解できる人は、そう多くはありません。

その時は繰り返し説明を行ったり、よりわかりやすい説明を心がける事が必要になります。

インフォームドコンセントとは、それらのプロセスであり、結果になります。

大切なのは、対象者の理解(合意形成)が得られているということになります。

「このあいだ説明したよね」では、一方的です。

一方的では、教育の一部の側面しか捉えられていません。

教育の効用とは、対象者に如何に主体的に考察してもらうかというところだと思っています。

ということは、対象者の思考を変え行動を変える必要があるということです。

総合診療に関わる医療者が何故このあたりのアプローチが上手なのかというと、そのような教育を受けているからです。

総合診療医は、Deseaseも診ていますが、実際はより広い概念のIllnessも診ます。

Deseaseとは、病名そのものに対してのアプローチですが、Illnessは病気の他にも生活や患者さんを中心とした医療の展開を行っています。

一筋縄では行かない患者さんもいらっしゃいます。

いう事聞かないからという理由で、突っぱねるのは簡単です。

けれども、その患者さんの顛末としては不良である未来が見えています。

今までは、そのような患者さんの多くは不良な転機をたどってきました。

総合診療の場合は、何故この患者さんは病院を受診しているのに、医療を拒否するのだろうという「問い」から始まっているのです。

全ては、問いから始まります。

全ての人に同じく、人生とは問いの連続です。

医療とは、患者さんにそれらの問いを認識させる学問であるとも言えます。

病気とは一部は因果が明らかなものがありますが、全般的には理不尽です。

この理不尽に対して、どのように人生は問いを与えているのか、そのプロセスを認識させることが医療であり、総合診療が携わる学問の一部であると思います。

まとめますと、患者さんも医療者も同じく人間ですので、患者さんに対するアプローチが上手であれば、医療者に対する教育も上手であるということは、ある程度自明というところに帰結します。

 

とある救急の場合

 

救急や集中治療という場面は、ときに1分1秒を惜しむ場面が生じます。

そのような場合は良いとして、そもそも不要であるのに、救急というだけで分単位で急ぐことまでは不要です。

そして、教育という側面もあまり認識されていないように思います。

あくまでもこれは、わたしの体験ですので、世の中には素晴らしい教育をされている施設もたくさんあります。

ローテーションが義務化されている医師に対しての教育が疎かである場合も多いです。

これは、将来的に自分の診療科に残るわけではありませんので一部は納得できる部分でもあります。

とはいえ、そのような理由だけで「教える」という行為を疎かにするということは得策ではありません。

様々な事象は巡り巡っています。

いついかなる時も、全力で教える態度こそが、人気のある診療科になる秘訣と言えるのではないでしょうか。

こんなのも知らないのか?という事は誰にでもできる教育ですし、そもそも教育ではありません。

教育の2文字が示すように、教え育てていく必要があります。

自分の意見を押し通すことは、それが患者さんのためだということも、医療従事者であれば誰しもが理解しています。

とはいえ、医療はチームで成り立っています。

であれば、対象者のことを理解するというのが指導者たるものの使命ではないでしょうか。

あまりにも主張が強くなってしまうと、それはただのハラスメントです。

ハラスメントになってしまえば、医療事故も増えますし、医療事故をかき消そうと思う人も出てきます。

安易に相談できない雰囲気を作るということは、良くないのです。

それは当然で、親が悪い点数を採ると怒られるというシチュエーションでは、悪い点数をとった子供は隠そうとするのと同じです。

でも隠したテストの結果はいつかバレるでしょう。

医療事故も同じで、隠したところでいつかはバレます。

つまり、先を見据えて教育へ携わるということが必要になります。

教育の効果が現れるのは先ですし、分かりづらいです。

でも、確実に撒いた種は花を咲かせます。

先を見据えるということは、経済学的にも重要なことです。

投資も同じです。

先を見据える能力というのは、医療に限ったことではありません。

今から、1年後、5年後、10年後、50年後、さらには自分が死んだあとでもその息吹を絶やさずに継続させることが必要になります。

先を見据えるということは、そういう事です。

 

まとめ

  • 教育とは、当然ですが教えること
  • 指導者は聞きづらい雰囲気を作らない努力をすべき
  • 先を見据えるということは、自分が携われる範囲を超えて後世にその意志を引き継ぐということ

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