結論
- 当該組織に応じた部署の割当が必要
- 個人的には80:20の法則のように、最大2割程度の移動に留めたい
病院の場合
毎年、3月になるとたくさんの移動があります。
3月は別れ、4月は出会いの季節とも言えます。
そんな中、病院は一般企業よりも多少特殊で、多分移動や退職は多いと思います。
毎年毎年、看護師さんは辞めていきますし、医師も特に中堅と言われるレベルの場合、移動が多いように思います。
そもそも、部署の移動は必要か
看護師さんの場合は、例えば救急から外科といった具合に、ある程度の専門領域を超えての移動があります。
これは、看護の専門性とも関連してくるものでもあります。
つまり、医師は自分の希望で多くは診療科(専門領域)を選択できますが、看護師の場合はそうもいきません。
看護師の場合は、上昇部からの移動命令であったり、自分の希望であったりその理由は様々です。
とはいえ、看護師にも専門(得意)領域はあります。
本来は、その専門領域をグイグイと伸ばすことが必要になります。
けれども、強制的な移動はときに、本来伸びるはずだった領域を阻害する原因にもなります。
客観的に移動を評価する
例えば、看護師の場合その部署に残りたければ、その部署での成果を提示し続けば残れるようなシステムが好ましいと考えます。
例えば、研究を論文化するような、当該部署としてのQualityの提示のようなものです。
このような人を移動させて、ただの希望という人ばかりが残れば、当該部署のQualityが落ちるのはおそらく自明です。
Qualityを上げるということは、生産性にも寄与します。
生産性が上がれば、規定された時間あたりの生産効率が向上します。
だからこそ、ほんとに成果を出し続けている人が希望にそぐわない移動を強いられるということは生産性の観点からは好ましくありません。
もう一点は、結果的には生産性の話に行き着くのですが、コミュニケーション能力になります。
コミュニケーションと言っても、その評価内容は多岐に渡ります。
雑談が得意ということが評価されがちですが、雑談はコミュニケーション能力とは全く異なるものだと思います。
もちろん、雑談はとても必要なものです。
生産性の観点からの評価では、仕事(ミッション)遂行のためにコミュニケーションをとり、成果を提示できる人たちのことです。
つまり、人が辞めない組織の構築で、更に各個人が向上することを選択できる人財の育成です。
客観的評価は、全て「生産性」の観点からの評価ということになります。
生産性を無視して、部署の移動を強行してしまうと、すべての歯車が噛み合わなくなってしまいます。
部署異動に関するわたしの意見
移動は、時に健全化に寄与しますし、間違えた移動の強行は生産性を著しく損ねる可能性があります。
長らく同じ部署にいると、だんだん勘違いする傾向になります。
勘違いとは、自分は仕事ができると勘違いすることです。
客観的評価が重要なのは、このあたりが問題だからです。
自分が仕事ができると思いこんでしまえば、他者に対して仕事ができないと言っているのと、ほぼ同義です。
謙虚かつ、生産性の観点からは同じ目標を共にし、それぞれの強みを活かす事で、成果の提示は可能です。
仕事ができると思いこんでしまうと、新人の方になんでそんなのもわからないのか、という発現が増えます。
自分も知らなかったはずなのに、です。
そのような、同じ部署にいることで、害にしかならない人は積極的に移動させるべきでしょうう。
当然移動先でも、同じ状態になりますので、どんどん移動させます。
ある特定の人だけ、移動になるということは、なにか問題があると思わせることが必要です。
そして、自分が何も知らないということを知ることが大事です。
このソクラテスの言う、無知の知はすべての事象に対する、基本的考え方になります。
ちなみにわたしは、看護師さんにこの無知の知の話をしたら、「そんな難しいことを言われてもわかりませんし、人はついてきません」と言われました。
この様に、職場にはいろんな人がいます。
上層部は移動の際は、客観的評価に基づき移動を決める必要があります。
まとめ
- 部署の移動は、生産性ありき
- 生産性は、客観的に評価されるべき
- 当該部署に長くいて、害になる人と役に立つ人に分かれる
- 害になる人は、積極的に移動するのは選択肢として、あり
- 無知の知を知らない人は、基本的には謙虚さが不足している