ほぼ全ての医療者と、認知症に関連する一般の方も、長谷川式認知症スケールのこはご存知だと思います。
もはや、伝説のような印象でしたので、大変失礼とは存じますが、まだご存命であることすら知りませんでした。
名前は知っているけど、まだ存命だった医療界の有名人は以外に沢山いらっしゃいます。
例えば、川崎病の川崎富作先生2020年6月に死去されていますが、つい最近まで存命でした。
医療界へ多大な功績を示した方ほど、伝説の域に達しており、多くの医療者が自分の中で存命であることを知らない場合があるのだと思います。
長谷川先生も、伝説の方ですので高齢となっています。
その結果、認知症の診断となったようです。
認知症の専門家が、認知症になるとは、本来ひた隠しにしようと思うのが心理だと思います。
長谷川先生は、さすがといいますか、やはりレジェンドですので認知症であることを公表し、それを書籍としてまとめられています。
それが本書です。
認知症であることを理解されているのもすごいですが、自分の文章のロジックの事まで懸念されており、読売新聞編集委員の猪熊さんとの共著という事になっています。
少なくとも、認知症の患者さんと日々対峙している医療者は必読だと思います。
Contents
第1章:認知症になったボク
「確かさ」が揺らぐ
前に行ったことがあるはずなのに、たどり着けいない。
今日が何月何日で、どんな予定があったのかがわからない。
このような症状により、自分は認知症ではないかと思い始めたそうです。
わたしも、患者さんに「今日は何月何日ですか?」と聞いてはいるものの、カンニングしています。
つまり、今日の日付すら理解していないタイプなのですが、多分認知症では無いと思います。
著者は、確かさが揺らぐ、確信が持てないと表現されています。
鍵をかけたはずなのに確認に戻るのですが、その後も鍵をかけたのか確信が持てなかっそうです。
そんな状況の対策が、日めくりカレンダーや新聞で毎日確認をするようにしたそうです。
因みにこの対策は、入院中の認知症の患者さんや、せん妄といわれる一時的な認知機能障害の予防対策としても、積極的に利用されいるものです。
自ら公表
ある認知症の講演会で著者は、いきなり「じつは認知症なんです」と公表されたそうです。
認知症の講演会で、認知症の著者が公演している、という状況は本来奇異なのかもしれません。
しかし、認知症である方より、直接講演される程強い説得力は無いと思います。
認知症になってしまえば、普通の生活は送れないと思っている人もまだまだ多いと思います。
そんな認知症を理解するには、本物の認知症の方から色々教わることが何より強い説得力を持つのではないかと思います。
だって、認知機能は低下したとはいえ、普段通りの生活を送っているわけですから。
認知症であれば、認知症なりの生活が送れる社会を作ることで、認知症の方はその社会でより生きやすくなると思います。
また、家族が認知症になった場合も、お互いにWin-Winの関係性のある社会構築に寄与することが出来ることになるはずです。
認知症の方に、原因を話しても何の解決にもならない
あなたは、アミロイドβが蓄積し・・・
という話をしても、何の解決にもなりません。
認知症が良くなるわけもないです、これから進行しないわけでもありません。
”認知症の方が真剣勝負で向かってこられたとき、その場しのぎの答えや生半可な慰めは通用しません”と著者は述べています。
認知症の方に対する、答えは無いのでしょうが、手を握り共感することは悪いことではないと思います。
一方、著者の割り切りはよく、認知症の専門家であるがゆえに、認知症のことを理解しているからこそできる受け入れ方であると思います。
認知症になってしまったものは仕方ない、というものでした。
公表した理由
”認知症についての正確な知識を皆さんにも知ってもらいたかったから。”
”認知症の人は悲しくう、苦しく、もどかしいおもいを抱えて毎日を生きているわけですから、認知症の人への接し方を皆さんにしっておいてほしかったのです。”
著者はこのように述べています。
認知症はこれからも、増加の一途をたどるでしょう。
根本的な治療法の無い、認知症という国民病に対しできることは、社会が認知症を受け入れ支える仕組み、つまり認知症の方が生きていくための仕組みの作成が必要であるといえます。
晩節期の認知症
著者は、高齢になって発症する認知症のことを、このように表現されています。
繰り返しになりますが、高齢者が増えると認知症も同じく増えていきます。
認知症と暮らす社会とは、認知症であることを理解することから始まるような気がします。
そのためには、著者のように認知症を受け入れる準備を、高齢になる前から行うことも必要だと思います。
著者の場合は、公表することで新たな出会いもあり、その刺激も良い方に作用しているようです。
反省したこと
著者は、嗜銀顆粒性認知症といわれる、進行がゆっくりなタイプであることを公表しています。
その結果、アルツハイマーでなくてよかった、といった発言をしたそうです。
家族に言われて気づいたそうですが、アルツハイマー方認知症の方にとっては、よい気はしないと気づいたそうです。
認知症とはいえ、そこまでの気遣いが出来るということは、長年認知症の専門家として、対峙してきた著者だからこそ言える発言であると思います。
第2章:認知症とは何か
認知症の定義
”青年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態” とされています。
暮らしの障害
認知症になると、普段の生活ができなくなるそうです。
普段の生活とは、朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、片付けて・・・といった一連の暮らしに必要な活動の事です。
認知症になると、普段どおりの生活が送れなくなりますので、出来ない部分を補う社会のシステムが必要になります。
認知症の本質は、生活の障害という事になります。
記憶の障害ですと、冒頭に書いたように、カレンダーなど日常の認知を促し、忘れても確認できるようなシステムのことです。
ありのままを受け入れる
認知症ですといわれたら、そうですか、といえる社会が必要です。
そうですか、でも大丈夫ですよ、心配ありませんよ、と。
いろいろな、社会に対応できるような、工夫が必要になります。
予防で重要なこと
最も大きな危険因子は加齢ですが、現在の日本は高齢社会であり、避けることは困難です。
そのため、認知症にならないよりも、なる時期を遅らせることが重要になります。
たとえば、脳血管性認知症であれば、生活習慣を見直すことで、ある程度の予防は可能になります。
アルコールや喫煙などの節制も、予防には重要かもしれません。
認知症の推計
WHOの報告では、2015年時点で認知症の人は世界に約5000万人いるとされています。
2030年には8200万人にまで増加する予測です。
認知症になると医療費などの社会的費用もかかります。
2015年で約90兆円とされています(世界のGDPの約1%)。
2030年には、220兆円になると推計されています。
第3章:認知症になって分かったこと
固定したものではない
生まれてから認知症と言う人は、おそらくいません。
普段どおりの生活をして、主に高齢者になってから、普段どおりの生活がおくれなくなり、認知症と診断されるケースが最も多いと思います。
つまり、1人の人間として連続しているということです。
認知症の診断を受けて、突然人が変わるわけではなく、認知症と診断される前の人としての続きとしての認知症の今があります。
つまり、必要なのは1人の人として、対峙する事が必要です。
認知症だからといっても、いろんなフェーズがあります。
出来ることもたくさんあります。
人生のピークとして、働いていた頃より連続した今があります。
是非とも認知症の方には、そのように背景を踏まえて接していただけると、よいと思います。
置いてけぼりにしないで
認知症の人の前では、悪口を言ってもわからないわけではありません。
バカにされていることもわかります。
そのような経験は、忘れやすい認知症の方でも、心に深く刻まれます。
そのため、敬意をもって接していただくことが必要です。
認知症の方には、そのようなつらい経験をさせることが得策ではありません。
すべてを受け入れつつ、大丈夫、わかりますといえる社会の構築が必要だと思います。
時間を差し上げる
まず、相手の言うことをよく聴く。
認知症に限らず、高齢者になると反応性がわるくなります。
若年者の時間の流れとは異なりますので、是非とも待つことを意識して接していただきたいと思います。
時間の流れとは、例えばテレビでは数秒間沈黙がつづくだけで、長時間に思えます。
会話も同様に、待つことで反応が見られることがあります。
その人を認識するには、待つことを是非とも心に留めて接していただくと良いと思います。
また、子どもにも言いがちですが、こうすればどうですか、というのは自分が中心に事がすすんでいきます。
子供の場合は、効率の問題もありますので、まだ良いのかもしれません。
しかし、認知症の方にとっては、自分がしたいと思っていた事を阻害されてしまうことになりますので、混乱し思考停止に陥ってしまいます。
そのため、何をなさりたいですか?というような、相手中心の会話が必要なのです。
役割を奪わない
話しかけるのは、1mくらいがちょうどよいそうです。
認知症高齢者の方は、難聴や視力障害の方もいらっしゃいますので、なるべく近いほうが良いという意見もありますが、一般的には1m程度を目安にすれば良さそうです。
その結果、難聴や視力障害があれば、近くで話しかけるほうが良いのかもしれません。
とくに入院中ですと、ベッド上の高齢者に10cmくらいの距離で話しかけることもありますので、1mくらいから始めて微調整しましょう。
伝えるのは1つ
複雑になるほど理解がむずかしくなります。
そのため、なるべく単純化することが必要になります。
ルーチンとはよく言いますが、まさにルーチン化してしまうと、生活しやすい環境になるかもしれません。
逆に、ルーチンが崩れてしまう入院やショートステイなどは、混乱してしまいます。
なるべく、日常のルーチンを家族などの関係者から聞き取り、病院や施設を自宅に近い環境にすることで、医療者も患者さんも良好な関係性構築へ寄与することが出来るかもしれません。
また、元々の職業や趣味なども有用です。
家事を行っていた方でしたら、台所仕事などといったように、個別に応じた役割を合意のもと提供することで、役割を発揮していただける可能性があります。
長期的な記憶は明確に残存している場合がありますので、例えば銀行勤務でしたら、その頃の話など聞くと、いろいろ話してくれるかもしれません。
その時の状況を、こちら側も真摯に聴き、その人らしさとして日常のケアプランに組み入れることは必要なことだと思います。
笑いの大切さ
当然のことかもしれませんが、笑いは伝播します。
ケアする側が、イライラしていると認知症患者さんは心を閉ざしてしまいます。
イライラする事があっても、笑顔で接することがプロとしては、必要な対応かもしれません。
騙さない
子どもに対しても、同様で嘘をつかないということは重要です。
例えば、騙して認知症外来に連れてこられた場合などは、信頼関係の構築は築けません。
第4章:「長谷川式スケール」開発秘話
長谷川式認知症スケールは、現在国際的に標準のMMSEというスケールの台頭により、国際標準とは言い難いです。
しかし、現在でも認知症の程度を簡便に測るためによく使用されているのが現状です。
そんな、スケール開発秘話は大変興味深く拝見することが出来ました。
著者の長谷川先生は、慈恵医大の頃に長谷川式スケールの大まかなものを作成されています。
結局その後、聖マリアンナ医科大学の教授になられてから、1974年に論文を公表されています。
そのため、慈恵医大式スケールや聖マリアンナ式スケールなど、色んな名称の候補があったそうです。
最終的に、長谷川先生が作成に尽力されたということで、関係者の後押しもあり、長谷川式スケールにきまったようです。
ノンバーバルコミュニケーション
著者は、2回米国へ留学されているようです。
通常、留学にあたっての大きな壁は、言語だと思います。
とくに、精神科という診療科は、人の心を読み解く必要がありますので、言語化された言葉を紐といて診断していくものだと、わたしは思っていました。
著者も1回目の留学の際に、言語の壁が立ちはだかり、3ヶ月めに帰国を提案したそうです。
しかし、相談したBOSSは、ノンバーバルコミュニケーションの重要さを教えてくださったそうです。
言語が多少わからなくても、真剣に何を伝えようとしているのかは、伝わるものだと思います。
日本人である我々も、外国人が必死に何かを伝えようとしているのをみると、助けたくなる気持ちがあると思います。
それに似ているような気がします。
結局留学先からは帰国せず、2回めの留学も果たしておられます。
長谷川式スケールは何を検査しているのか
長谷川式スケールには、9の質問項目があります。
1、お歳はおいくつですか
これは、記憶
2、今日は何年何月何日ですか?
これは、日時の見当識。
見当識とは、人・時・場所の認識のことをいいます。
3、私達が今いるところはどこですか?
これは、場所の見当識
4、これから言う数字3つの言葉を言ってみてください。あとでまた聞きますのでよく覚えておいてください。
これは、即時再生。
即時再生とは、その場ですぐに言葉を再生して言ってみることです。
5、100から7を順番に引いてください
これは、計算力と注意力をみています。
著者曰く、ここの間違いが多いそうです。
100−7を言えた場合は、そこからさらに7を引いてくださいというのが正しいやり方です。
一方、93から7を引いてくださいというのは、間違いだそうです。
93という数字を覚えながら引き算をしてもらう、同時に2つの作業を求めているからだそうです。
検査者がみたいのは、計算力と注意力の両方になります。
6、わたしがこれから言う数字を逆から言ってください。
これは、記憶と注意力
8,先程覚えてもらった言葉をもう一度言ってみてください。
これは、遅延再生。
即時再生とは異なり、後から言葉を再生して言ってみることです。
9、知っている野菜の名前入をできるだけ多く言ってください
これは、言葉の流暢性をみています。
お願いする姿勢
長谷川式スケールは、一見簡単そうに見えます。
それだけに、途中で怒り出す方もいらっしゃるそうです。
そのため、お願いする姿勢が重要です。
また、この検査だけで認知症と判断するのではなく、画像診断を含めたいくつかの検査の結果、診断することが必要になります。
第5章:認知症の歴史
以前、認知症は痴呆と呼ばれ、阿呆などの派生語と認識されていたそうです。
そのため、家族は認知症の家族をひた隠しにし、いわゆる虐待に近い扱いを認知症の方々は受けてきたそうです。
例えば、納屋に押し込められ、ネグレクト状態の認知症の方も、沢山いらしたそうです。
国際老年精神医学会の会議開催
1989年にアジア圏で初めて開催されたそうです。
この時、まだ日本には老年精神医学の学会がなかったそうです。
そのため、国際学会に合わせて、大急ぎで著者を中心に作られたそうです。
結果的に、盛況で幕を閉じたようです。
介護保険制度
介護保険制度は、2000年に始まりました。
また、同じく成年後見制度も始まりました。
成年後見制度とは、認知症患者さんの財産を守るための制度とも言われています。
「痴呆」は侮辱的
以前は、認知症のことを痴呆と呼んでいました。
最近では、ほとんど聞くことのない言葉になりました。
痴呆には、「あほう」「ばか」などの侮辱的な意味を含むために、委員会が発足されました。
国民へのアンケート結果なども、参考に「認知症 」に名称が変更されたそうです。
名称変更は、医療界では時々起こる問題です。
例えば、ウェゲナー肉芽腫症もナチス党員であったとの理由もあり、多発血管炎性肉芽腫症へ病名が国際的会議で統一されています。
確かに人名を使用することで、どのような疾患であるのか捉えにくいという欠点はあると思います。
そのような観点からの変更であり、かつカッコ書きなどで、旧名称を併記するなどでしたらまだ良いのでしょう。
過去の医学への寄与とは関係ない理由での名称変更は、あまり良い気はしません。
第6章:社会は、医療は何ができるか
車の運転
著者も車が好きで、通勤も車通勤だったそうです。
しかし、80歳のころ車をこすることがあり、すぐに車の運転は辞めたそうです。
そして、すぐに免許証まで返納しています。
わたしでしたら、車の運転はやめたとしても、免許証は持ち続ける気がします。
やはり、危険だと感じたら潔く運転は辞める勇気が必要なのだと思います。
もちろん地方には車がないと生活出来ない状況ではありますので、事前に80歳になったときのことを考えて行動することが必要だと思います。
著者も認知症の方が1つだけ決してやってはいけないこととして、車の運転を挙げています。
昨今この問題は、社会問題となっています。
例えば、自分の子供が認知症高齢者の偽性になった時のことを考えて、家族や社会ぐるみで認知症高齢者の運転をさせない社会構築が必要だと思います。
怖い教授
教授時代は、私大である聖マリアンナを、慶応や慈恵と同じレベルにすべく、尽力されたそうです。
その影響か、学生や職員には恐れられていたと著者は述べています。
一方、看護師長の話では、病院に来た日は毎朝、入院患者さんに挨拶するのが習慣だったそうです。
そんな大学教授はなかなかいないと思います。
そんな人となり、人徳の影響もあり、他大学出身者である著者が私大の理事長にまでなれたのだと思います。
第7章:日本人に伝えたい遺言
喜怒哀楽の感情は、認知症になっても最後まで残るとされています。
そのため、芸術に触れたり、美味しいものを食べたりすることはすごく重要なことなのだと思います。
認知症とはいえ、同じような感性をもっています。
元々の趣味にも影響されますが、芸術に触れることは重要です。
老いの準備
残念ながら、老いのない人間は存在しません。
いつかは、長生きしていれば、老衰で死にます。
そこが、現在の医療の限界であり、死に際かもしれません。
老いは必ずやってきますので、事前に準備が必要になります。
”何もわからないと決めつけて置き去りにしないで。本人抜きに物事を決めないで。時間がかかることを理解して、暮らしの支えになってほしい。”
と著者は述べています。
まとめ
著者は認知症研究の第一人者です。
現役時代はとても怖かったのかもしれませんが、当時より患者さんの事を気にされているのが印象的でした。
医療とは、膨大な研究において成立していると思われがちです。
一見そうなのですが、その研究成果は目の前の患者さんに施されて初めて意味のある研究にになります。
著者はまさに、根拠に基づく医療の実践により、長谷川式スケールを開発され、現在まで、脈々と受け継がれているのだと思います。
認知症患者さんも1人の人です。
少し特殊な対応がひつようになりますが、おなじように対応し、その人となりを尊重すれば、認知症でも心が通じ合うときが来ると思います。
いかなる認知症も、進行のスピードの違いはありますが、日に日に進行します。
進行したとしても、医療者としての患者さんへの対応など、この著書を参考にすることは大変有用です。
是非とも、活用しましょう。