システム

利用可能性ヒューリスティック

https://amzn.to/2EQHA31

ヒューリスティック(heuristic)

アルクのWebで検索すると”発見的な・経験則に基づいた”という日本語に訳されます。

https://eow.alc.co.jp/search?q=heuristic&ref=awlj


つまり、自分の経験のことです。
パターンとも似ているような気がします。

人々のパターン

人の行動パターンはある程度決まっています。
なぜ、そのパターンが決まるのかは、自分の経験が決めています。
例えば、朝出勤の際の電車の時間が決まっていて、乗車する場所が決まっている人がいるとします。
それは、その時間が最も効果的かつ効率的であるからこそ、その時間の電車を選択しています。

出勤の際の電車の時間を決めるのは、人それぞれです。
例をあげますと、

  • 自宅を出る時間がちょうどよい
  • 目的とする電車が空いている
  • 到着する電車が、出社時間にちょうど都合がよい
  • 乗り換えの都合上最短時間で到着できる

などなど、人により様々な理由(ヒューリスティック)により決められています。

そのパターンは本当に正しいのか

では、人々が選択した朝の通勤電車ですが、本当に自分が思っているように都合のよいものなのでしょうか。
例えば、通勤をし始めた最初の頃は色々試しながら(試行錯誤しながら)電車を選択します。
そして、自分の都合の良い時間帯で最も空いている電車を選択します。
混んでいるのが嫌な人であれば、人が少なそうな端の車両を選択するかもしれません。

あくまでも経験則に過ぎない

けれどもこれらの試行錯誤は、自分の経験則に過ぎません。
例えば、電車好きの達人に聞けば、より効率のよい電車を選択できるかもしれません。
電車の専門家が、様々なデータを試算すればより、自分に都合のよい電車を選択できるかもしれません。
つまり、データは嘘をつきません。
時には、電車の遅延などで大幅に乱れることもありますが、少なくとも日本の鉄道に限っては、よほどの事がない限りは、ほとんど時間通りに動いています。

医療現場の場合

診断エラーでのケース

※全くの架空の症例です。
インフルエンザの流行期に、インフルエンザで来院された20歳の患者さんがいたとします。
この患者さんに、インフルエンザの迅速検査を行って、陽性だったので抗インフルエンザ薬を処方して帰宅と判断しました。
その時患者さんはとてもつらそうでしたが、若年者で合併症のないインフルエンザの診断だったので帰宅と判断しました。
その患者さんは夜になり救急車で来院され、検査の結果心筋炎という命に関わる病気と診断されました。

このようなケースでは、利用可能性ヒューリスティックが働きます。
1つの重大なケースを、それも診断エラーをしてしまったというケースです。

医療において、診断エラーは日常茶飯事とは言いすぎですが、一定の頻度で起きています。
しかし、医療者はいくつかの診断の可能性を常に考慮していますので、代替診断の可能性は常にヘッジされています。
医療者は、診断が仮に間違っていたとしても、治療はそれほど間違った方向にならないようにトレーニングされています。
近年、日本でも診断エラーの重要性が認知され始めており、積極的に診断エラーを共有しようという動きがあります。

https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03306_04

間違いを認める姿勢

このような間違いを認めるという所作は、極めて重要な姿勢であると思います。
例えば、過去の医療過誤の大きな原因はコミュニケーションエラーであったり、医師が人の話を聞こうとしなかったりといったことで起きています。

スペースシャトルの事故も有名です。
これは、技術者たちが打ち上げは危険であることと伝えたが、上層部は度重なる延期により話を聞かなかったというものです。
その結果、スペースシャトルは爆発し、宇宙飛行士の方々は亡くなられました。
現場の人間は、誰よりも現場のことを知っています。
些細なことでも耳を傾ける必要があるのです。

https://www.stresscare.com/report/terra201.html

医療現場での利用可能性ヒューリスティック

では、先程の架空の症例である心筋炎の患者さんを診た(経験)した後の行動は変わるのでしょうか。
わたしの経験では、医療者であれば必ずといってよいほど変わります。

例えば、架空の症例のケースを経験した後は、インフルエンザ様症状の人全員に心電図検査を行う、といった一見過剰なプラクティスが行なわれるようになります。
けれども、時が経つにつれて徐々にその記憶がうすれ、それらのプラクティスも行なわれなくなった頃に、再び同じような出来事が起こります。

一人が経験できる症例(経験)には限りがある

当然ですが、一人が経験できる症例数には限りがあります。
これは、物理的限界です。
たとえば、外来を50人診察したとします(これはすごく多い数です)。
それでも、1日50人なのです。

患者さんは、いつ重大な病気でやってくるかわからないので、その時に備えて医療者は常に研鑽に励んでいます。
難しい・危険な病気を診断し、手術につなげてレスキューできたとしても、ヒーローは外科医です。
けれども、診断エラーにより、見逃して心肺停止で救急車で来院するときは、救急などの診察した医師の責任が問われます。
厳しい世界ではありますが、患者さんはそれぞれが初めての体験であることを念頭におき、対応する事が医療者には必要です。

バスの運転手は、両替の仕方がわからないだけで、怒り出す人ほとんどです(この所感も私の経験則に過ぎません)。
例えば、普段運転手付きのハイヤーに乗る人は、そんな事わかりません。
医療者にとっての当然が、患者さんの認識と同じということはありえません。
常に、この患者さんや家族は、当該病院の医療者に命を預けているという認識が必要なのです。

重大な事象とよく起こる事象

たとえば、飛行機事故は1回の事故でほとんどの乗員乗客が亡くなります。
けれども、飛行機はダントツで世界一安全な乗り物です。
交通事故で死亡する人のほうが、よほど多いです。
確率論で言えば、タクシー乗車で死亡する確率のほうが高いと言えます。

タクシーなどの乗用車での死亡事故のケースは毎日起きています。
そのため、報道もほどんどされませんし、人々の関心も薄いです。

しかし、飛行機事故の場合は大きく報道されますし、多くの方が亡くなられますので、非常にセンセーショナルなニュースとして取り上げられます。
その結果、本来世界一安全な乗り物であるはずの飛行機は、墜落のリスクがあると勘違いしてしまいます。

これが、体験に基づく利用可能性ヒューリスティックの1例です。

まとめ

利用可能性ヒューリスティックは、自分の身の回りで起きた体験を、あたかもよくある事象の如く勘違いしてしまうことを言います。
その結果、無駄なプラクティスにも繋がっている可能性もあります。
一人が経験・体験可能な人数は物理的に決まっていますので、多くの情報と経験をうまくつなぎ合わせて日頃のプラクティスにして行くことが必要です。

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへにほんブログ村 サラリーマン日記ブログ アラフィフサラリーマンへブログランキング・にほんブログ村へ

-システム
-