看護

「わかる」から「できる」、そして「実践できる」へ

はじめに

多くの人は、本を読みます。
つまり、インプットです。

インプットの罠は、わかった気になることです。

例えば、先輩に指導してもらって、わかった気になります。
けれども、その事項に関して説明してください、といわれてもなかなか説明できないものです。

人の記憶は、教える事が最も記憶に定着するとされています。

これは、当然といえば当然です。
わかっているからです。

わかるということ

わかっているということは、説明できるということでもあります。

「わかる」と「できる」と「実践できる」というものがあります。
わかったということは、実践できることを意味しません。

できるということ

できるということは、わかっているということになります。
できるためには、わかっている事が必要だからです。

例えば、手術のときにわからないままに、進めていく外科医はおそらくいないでしょう。
これは、わかっているからです。

実践できるということ

一方、手術のことはわかっている外科医であっても、感染管理のことは全くわかっていない場合もあります。
術後の感染症で死亡することもあります。

これは、先を見据えることができるかどうかということになります。

先を見据える

手術をして、手術はうまくいきました。
けれども、感染症で不幸にもなくなりました。
ということでは、手術は成功したとしても、医療としては失敗なのです。

それがどんなに難しい手術であったとしても、外科医はそれで納得するかもしれませんが、実際のところやれるべきことはたくさんあったのかもしれません。

内省が大事

つまり、振り返ることが必要です。
内省といわれるものです。

手洗いの効果は150年以上も前に証明されている

手を洗うという行為は、1847年にゼンメルワイスにより証明されています。

例えば、現在新型コロナウイルス感染症(Covid)が流行しています。
Covidに感染した人が、他人に移す様な行為は、人殺しとされています。

同じく、特に重症患者の場合でも、Covid以外の感染症でなくなる数は膨大です。
これが、医療において当たり前になっているから、おかしいのです。

Covidは特別扱いなのか

Covidはだめで、MRSAと呼ばれる特殊な耐性菌に感染することが良いはずがありません。

人殺しにならないためには、今から150年以上も前に証明されているにも関わらず、Covidが流行している現在においても、「実践できていない」のです。

そんなのわかっている、というかもしれません。
実際外科医は、手術前には極端なほど入念に手を洗います。

現存するエビデンスも重要

エビデンスの観点からは、石鹸と水と時間の無駄な手洗いである可能性もあります。
適切な手洗いを知ることで、それは分かるということになります。

染み付いた習慣を変えるのは難しい

けれども染み付いた経験は、なかなか払拭することができません。

手術前には、丁寧に手をあらっても、患者さんに触るときは素手で創部を触る方もいるかもしれません。

奇しくもCovid流行禍においては、少なくとも医療者の感染管理はうまくできています。
この調子で、Covid終息後でも手洗いを継続して、先を見据える人材となっていただきたいと感じています。

まとめ

分かるだけではだめ
実践できるにはどうすべきか、という前提で何事も考えることが必要
実践できるということは、先を見据えることにもつながる
医療は、先を見据えるという観点からは、かなり古典的で腰が思いと言わざるを得ない。
そんなときこそ、Covidを契機に看護師から医療を替えていくという「成果」を提示して行くことが必要です。

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