はじめに
Less is Moreという本を読んで、まとめてみようと思ったのですが、毎度のごとくまとまらず。
自分の意見を勝手に書いてみました。
引用文献を書いていないので、申し訳ないのですが、根拠のあること/無いこと書いています。
せん妄とは
せん妄とは、急性脳機能障害とされています。
腎臓が悪ければ腎障害、肝臓が悪ければ肝障害です。
このへんの臓器障害が、急性に起こるので急性障害となります。
急性の定義は様々だと思いますが、例えば腎障害の場合は7日以内とされています。
せん妄に関しては、自宅にいるときにせん妄を発症することは少ないので、多くは入院してから問題になります。
せん妄は、一般的に可逆性の障害とされています。
そのため、日本語だと傷害のほうが正しいのかもしれませんが、決まったものは無いように思います。
例えば、急性腎傷害は、Acute kidney injuryが正式名称です。
機能不全: dysfunctionではなく、ちょっと傷がついたようなイメージです。
個人的には、ちょっとした機能不全を傷害、重篤な機能不全を障害なのかな~と思っています。
自宅でのせん妄は少ない
では何故、自宅にいるときにせん妄が少ないとされているのでしょうか。
せん妄には、いろいろなリスク因子があります。
例えば、認知症やアルコール中毒などはその代表です。
繰り返しますが、せん妄は急性脳障害で多くは原因があります。
原因として多いのは、多臓器障害です。
例えば、腎障害は重症患者の場合よく起こる臓器障害の1つです。
しかし、腎障害を来すと死亡率が増加するとされています。
つまり、腎障害は予防する必要があるということです。
さらに、腎障害を来すと一過性に腎臓の機能は回復してくることが多いですが、再度悪化したりそのまま慢性腎臓病へ移行したりします。
急性の問題だから、というよりは臓器障害をそもそも起こさないような管理が必要と言えるでしょう。
これは、せん妄も同じで、せん妄はよく起こる入院に伴う合併症とされてきました。
ところが、せん妄を来すと死亡率が上がるという報告をきっかけに、世界中でせん妄に対する認識は高まったように思います。
つまり、世界中で研究が進んだということになります。
せん妄は、とくに集中治療室で多く発生するとされています。
では何故、集中治療室で発生するのでしょうか。
これは、患者さんの特性によります。
患者さんの特性とは、重症とか軽症とかそんな感じです。
重症だと、多臓器に傷害が起こります。
つまり、脳機能障害となります。
その結果が、せん妄と言えます。
せん妄は高齢者に多いです。
高齢者は、身体的にも脳機能的にも予備能が減少しています。
例えば、どれだけ優れたスポーツ選手でも、齢を重ねると老人になります。
老人になると、思うように体は動かず、脳機能も低下していくとされています。
ここでは、老人とは悪い意味ではなく、敬意を込めて書いています。
高齢になると、小さなコミュニティーでの生活が増えがちです。
以前は、アクティブに活動していた人でも、新規の情報が少なくなり、新規の情報を忌避するようになります。
つまり、億劫になるということです。
以前は散歩に出かけていた場合でも、それが億劫になってくると自宅内での生活になります。
身体機能の低下は、脳機能の低下との関連性が指摘されています、逆も然りです。
そのような、もともとの機能が悪いことで、ちょっとしたきっかけで せん妄になりやすい体質を高齢者はすでに兼ね備えているといえるでしょう。
一方、若年者でも脳萎縮を来す場合があります。
その代表が、アルコール依存です。
アルコールにより、なぜ脳が萎縮するのか、わたしは知りませんがこれは間違いの無い事実とされています。
つまり、アルコールの飲み過ぎはよろしくないということになります。
アルコールは適度に嗜む程度でしたら、以前は健康にも良いとされていましたが、近年は覆すような研究結果も出てきています。
人類の短い歴史からも、アルコール依存は現代病ですので、可能な限り本来は避けたほうが良いのでしょう。
アルコールを多量に飲んでいる人の場合は、アルコールを突然やめることで離脱症状が出ます。
これは、アルコール離脱による症状、つまりせん妄の亜型です。
一般的に、依存性の高いものはGABAに作用します。
その代表が覚醒剤です。
覚せい剤は、数年間やめていても、あるときに再開してしまう率が最も高い薬剤です。
他には、アルコールやベンゾジアゼピン系の睡眠薬なども、GABAに作用しています。
アルコール依存の方は、鎮静剤が基本的に効きづらいです。
一方、アルコールが無くなると混乱錯乱状態になりますので、予防を行います。
予防は、ベンゾジアゼピンで行います。
毒をもって毒を制すわけです。
アルコール離脱は、通常72時間程度がピークとされています。
そのため、ベンゾジアゼピンを開始して、4日目くらいから減量していきます。
1週間をすぎれば、離脱に関する症状の再燃は少なくなります。
アルコール依存の場合は、せん妄予防に使うベンゾジアゼピンですが、ベンゾジアゼピンはせん妄のリスクになります。
ベンゾジアゼピン
ベンゾジアゼピンは特に高齢者の場合、非精神科医師が安易に手を出せる薬では無いような気がしています。
抗菌薬でいうと、第3世代の経口抗菌薬と同じイメージです。
第3世代経口抗菌薬は、非感染症医が処方する利益は無いとされています。
つまり、どちらも無くても困らない、あったほうが困るような薬剤と言えます。
当然、どちらの薬剤も現在の日本では広く使用されていますので、そんな事言われても困るのかもしれませんが、個人的には無くても困らないことが多いです。
次善の策として、とっておくくらいが良い気がします。
ベンゾジアゼピンの弊害
ベンゾジアゼピンの弊害は、他にもたくさんあります。
転倒を増加させることもわかっています。
特に高齢者の場合、日中に昼寝したり活動量が低下する影響もあり、夜間不眠を訴える方もいらっしゃいます。
そのため、割とよく処方されています。
高齢者不眠により、ベンゾジアゼピンを使った結果、転倒が増加するということです。
転倒が増加するだけなら良いのですが、高齢者の場合は転倒の結果死亡率を増加させることも問題です。
死亡率増加の要因には色々ありますが、臨床的によく経験するのは、大腿骨骨折です。
特に頚部骨折や転子部骨折が多いです。
つまりこれらの類の骨折は、緊急手術が一般的です。
とはいえ、整形外科医によりいつでもどこでも手術ができるわけではありませんが、準緊急くらいでは手術したいものです。
高齢者は、フレイルと言っていろいろな予備能力が低下しています。
わかりやすいのは、筋力や判断力などです。
近年は高齢者の運転も問題になっています。
とはいえ、一律に高齢者とひとくくりにしても、スーパー高齢者がいるもの事実です。
今後の日本は、さらなる高齢化は明らかです。
特に地方では車がないと生活できませんので、折衷案的な対策に加え、インフラの整備なども必要になるでしょう。
インフラとっても、バスを走らせるとかそんな簡単かつコストがかかるやり方ではなく、シェアリングサービスや自動運転などを統合した新たなものの導入は高齢者にとっては様々な利点があるでしょう。
ベンゾジアゼピンの問題点
ベンゾジアゼピンのもう一つの問題は、健忘作用があることです。
鎮静剤や睡眠薬も様々なものがありますが、この健忘作用がとても厄介なものです。
健忘している事自体を思い出せない、という状況であればよいのですが、健忘した事自体を忘れているというのは問題になります。
このような短期記憶の問題が、認知症、特にアルツハイマー型認知症の特徴とされています。
昼ごはんを食べたことは覚えているけど、何を食べたのかを思い出せない、ということは一般人でもたまにあります。
けれども、昼ごはんを食べたのに、昼ごはんはまだなのか? という、真実の健忘が問題になります。
当然周囲の人は、食べましたよ、と伝え、通常はその事実を思い出すことができます。
何が問題かというと、昼ごはんを食べていないということが、真実になっているということが問題です。
ベンゾジアゼピンもこれと似たような問題が起こります。
ベンゾジアゼピンによる健忘作用の結果、ある一定の記憶は喪失します。
その、喪失された記憶に関しては、真実ではない記憶に置き換えられます。
どうやら、記憶には穴埋め作業が行われているようですが、ベンゾジアゼピンによる記憶の喪失には、妄想的記憶になるようです。
この妄想的記憶の場合は、まず真実ではないということが問題です。
他人である医療者や家族との齟齬が生じます。
そして、都合の悪いような記憶に置き換えられがちです。
例えば、医療者はスパイで自分の命を狙っている、という記憶に置き換えられたとすれば暴力を振るうことになります。
その結果、医療者は薬剤や身体的な抑制を行うことになります。
妄想的記憶が不都合なのはなぜ
けれども、そもそも妄想的記憶がなんで、そんな都合の悪い記憶に置き換えられるのでしょうか。
その一因として、医療者の対応にあるのかもしれないと考えるべきかもしれません。
医療者は、自分を正義と捉えがちの人が多いかもしれません。
例えば、ランダム化比較試験は最大多数の最大幸福の典型例かもしれません。
そして、痰が溜まっている人には、本人が痰をとることで苦しむかもしれないというよりも、正義として痰つまりを起こしてしまえば命の危険があるということで、痰をとる行為を正当化します。
痰をそのときに、とる/とらないという選択が正しかったのかは、神にしかわかない事です。
でも、患者さん本人はよく理解しています。
だから、最低限患者さんからは色々な情報を収集し、コミュニケーションをとるべきだと思います。
一般論として、痰をとる/とらない、どちらも苦しいです。
医療者が痰をとるのは正しい行為で、そのことを後輩看護師に熱心に指導するということは、本当は正しく無いのかもしれません。
このあたりの、倫理的ジレンマというのは、事実と向き合う姿勢こそが重要です。
何も考えずに行うよりは、色々考えた結果行えば、患者さんとのコミュニケーションも増加するはずです。
その、プロセスは結果よりも、ときに重要になります。
話がそれましたが、せん妄を予防するには、普段の生活に近い環境を病院や介護施設で提供するために何ができるか考え、その考えた結果を臨床にアプライすればよいのです。
例えば、自宅でこたつを使っている人であれば、病院にこたつを導入しましょう!
とはいえ、そんなの無理と一蹴されるでしょう。
そこで一蹴せずに、一旦立ち止まり考えてみることは大事なことです。
こたつは無理でも、こたつに近いような環境をベッド上で行うにはどうすればよいか。
そのへんは、臨床実践のエキスパートである臨床の看護師こそが最も得意な分野であるはずです。
こたつが無理なら、自宅の見取り図や配置なども気になるはずです。
そうやって自分たちの看護実践が、患者さんのアウトカムに寄与すると思えば看護はもう少し楽しいものになるはずです。
そして、忘れてはいけないのが、せん妄のモニタリングです。
モニタリングさえ続けていれば、看護師の介入方法が変わることで、パラレルにせん妄発生率が変わってくるはずです。
けれども、モニタリングを行っていなければ、後でカルテを見直してもなんの情報も得られず終わりです。
自分たちの看護実践を評価するためにも、いろんなモニタリングを行いましょう。