結論
- 報連相は自立・自律とは真逆の概念
- とはいえ、シビリアンコントロールのように統制が必要な場合もある
- 必要な場合があるとはいえ、あまりにも強調されすぎている感じは否めない
報連相とは
報連相とは、報告・連絡・相談のことです。
本来、この概念は何もわからない小学生低学年や幼稚園生であれば必要かもしれません。
というのも、このような子供は親がある程度の管理・統制を行う必要があるからです。
管理・統制と書きましたが、本来このような子供に対しても、自我というものは存在します。
そのため、子供扱いせずに主体性をもたせるような関わりが必要になります。
そもそも、報告・連絡を行う場合でも、そこには自分の判断・アセスメントは含まれていません。
ただの事実だけを報告しているに過ぎません。
ただの事実だけを報告しているということは、判断するのは報告を受けた側ということになります。
つまり、報連相、報連相と言っている組織の場合は「考える力」が極端に低下していまいます。
なぜかと言うと、考えなくて良いからです。
逆に言うと、報連相を重視している組織では「考える」ということを教えていないに等しいとも言えます。
とはいえ、上司の立場であればある程度の組織コントロールは必要になります。
つまりは「情報」が集約化されることで円滑に業務を遂行することが可能になる場合もあります。
では、この情報をどのように集約化させるのかというと「相談」になります。
報連相の悪いところは、先にも書きましたように事実だけを報告・連絡して自分自身の判断は関係ないというところにあります。
けれども、本来必要なものは自分自身で考える力になりますので、報告・連絡すべき内容は自分の中で「アセスメント」していただき、上司には「相談」することが必要になります。
相談を受けた上司は情報の集約化もできますし、その場で議論することで報告・連絡すべき内容も網羅されるということに繋がります。
議論する上で、ゼロから始まっていては議論の本質にたどり着くことは困難です。
また、情報を集約すべき上司にとっても、時間がかかりすぎて効率が悪くなります。
自分で考え、相談を行い、その結果を持って実践するという戦略にそろそろ変わっていくべきだと思います。
パターナリズム
ではなぜこのような報連相が重視されるのかと言うと、パターナリズムにあるのだと思っています。
上司の立場としては、全てを手中に収めたいという父権主義的な考えから、報連相を強調してしまうのだと思います。
なぜそのような考えを持つのかといえば、そのような教育を受けてきたからであり、そもそものマネジメントを履き違えているからに過ぎません。
マネジメントやリーダーシップなどに共通していることは「成果至上主義」であるということです。
事細かに事実を上司に報告し、上司が指示を出した場合で、それがうまく行くのであればそれはそれで容認されるべきです。
けれども通常うまくいかないので、報連相が問題になります。
例えば効率が悪いという観点からは、上司のゴーサインを待ってからでないと事が動き始めません。
ということは、時間的なロスも大きいですし、時間が不足すると残業も増えることになります。
残業が増えると、組織としては余分な残業を出す必要がありますし、電気代などもかさむことになります。
そして仕事以外に使う時間が減少し、本来学ぶべき教養などの時間が取れなくなります。
その結果、仕事という狭い世界だけで物事を判断することに繋がります。
当然、教育的観点もおろそかになりますので効率的・効果的とは言えません。
このような報連相が蔓延しているのが、看護師の世界です。
何でも「先輩に聞いてきます」「医師に聞かないとわかりません」と自分で判断する教育をされていません。
7つの習慣という本に付属されていたDVDで面白い例えがありましたので紹介します。
アイスクリームを2つ重ねてほしいと客が言いました。
店員は、そんな商品はありませんと返答します。
お金をその分出すからお願いします、と客が言います。
店員はそれでも、そんな商品はありませんのでできません、と回答します。
このシチュエーションの場合、お金を出すからほしいと言われれば、その分組織としての収益は増大することになります。
結局は、先を見据える教育を受けていないことと、自分で判断する教育を受けていないことから、組織にとっては不利益となりうるような対応になっていまいます。
このあたりがうまくいっているとされているのが、ディズニーランドと言われています。
ディズニーランドのスタッフは、多くはアルバイトのようですが、アルバイトの人ですら最高の体験を提供できるように教育されています。
例えば、パレードはどこで見れますか?と聞かれた場合「あちらでやっています」で通常は終わっていまいがちです。
ディズニーの場合だと、パレードが見れる場所に加え、どの場所だとよく見えますとか、子供づれだとトイレが近い場所を紹介するなど、そのシチュエーションに応じて自分自身で判断していると言われています。
だからこそ、高いリピート率を誇る企業であると言われています。
何度行っても楽しいというのは、その様は非日常的な環境による影響が大きいと言えます。
単なる体験とは差別化を図っているといえます。
普通の遊園地の場合、そんなに何度も行きたい、という感じには多くの方はならないのではないでしょうか。
看護師の場合も、ディズニーランドのスタッフを見習い、自分で「考える」という教育を行うことで組織への貢献は可能になるはずです。
画一的であることの利点と欠点
災害などの有事の際は、報連相が極めて重要になります。
チームの指揮者に全ての情報を集めることで、統制を図ります。
とはいえ、災害医療チームにおいては個々それぞれの能力も極めて高い方が派遣されます。
そのため、常に報告をしていますが、順序としては相談(報告ー連絡)という形で、相談も兼ねて、つまりこうすればよいのではないかという意見も兼ねて報告・連絡を行っています。
CSCATTTと呼ばれるものです。
わたしは災害医療のことはさっぱりわかりませんが、まずは指揮命令系統を確立するという概念はやはり有用な在り方であると感じています。
日本人の場合は、画一的な人材が好まれがちです。
出る杭は打たれがちということになります。
つまり、個性が殺されがちということです。
個性は先に書いたように、災害など統制が必要な場合は邪魔になります。
一方、普段のネガティブな個性は邪魔になります。
何が問題なのかというと、とても良いことを発言しているのに、変わり者と言われるような部分です。
たとえば、医療の場合は論文ベースに話を進めるべきなのですが、そんな難しいことを言われてもわからない、などといって組織からは標準的であることを求められます。
本来、組織への貢献は個々で異なります。
貢献しているほど、給与へ反映させるべきなのですが、現状のシステム上はなかなか難しいようです。
まとめ
- 報連相は主体性を損ねることになる
- 特に看護師は、自分で判断するという訓練を今後行う必要がある
- 本文には書いていませんが、看護師にとっては特定行為は、自律・自立への第一歩かもしれません