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【最新研究】
手術中の血圧管理は、麻酔科医にとって非常に重要な課題です。術中低血圧(Mean Arterial Pressure, MAPが65 mmHg未満になること)は、心筋虚血や腎不全、さらには死亡率の上昇といった術後の有害な転帰と関連することが知られています。
しかし、「有害な転帰を避けるために、あらかじめ血圧を高めに保つ積極的な戦略が、通常のケアよりも本当に優れているのか?」という疑問には、これまで明確な答えがありませんでした。
今回、世界的な医学誌JAMAに掲載された大規模な無作為化臨床試験であるPRETREAT試験 の結果をもとに、この重要な問いに対する最新の知見を解説します。
研究の目的とデザイン
PRETREAT試験の目的は、術中低血圧のリスクに応じて層別化された血圧管理が、待機的非心臓手術を受ける成人患者の術後6ヶ月の機能障害を、通常のケアと比較して軽減できるかを明らかにすることでした 。
研究の概要
| 項目 | 詳細 |
| 対象患者 |
待機的非心臓手術を受ける成人(オランダの2つの三次医療センターで実施)
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| デザイン |
無作為化臨床試験
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| 主要評価項目 |
術後6ヶ月時点の機能障害(WHO機能障害評価尺度2.0, WHODAS 2.0で評価。スコアが高いほど障害が大きい)
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| 臨床的に重要な差 (MCID) |
5ポイントの差
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介入と対照群の戦略
患者は1対1で以下の2つのグループに無作為に割り付けられました 。
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積極的(介入)群
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事前に予測された術中低血圧リスクに基づいて、個別のより高いMAP目標値が設定されました。
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低リスク:MAP $\ge$ 70 mm Hg
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中リスク:MAP $\ge$ 80 mm Hg
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高リスク:MAP $\ge$ 90 mm Hg
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通常ケア(対照)群
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麻酔科医の裁量による管理が行われ、一般的にはMAP 65 mm Hg未満を避けることを目標としました。
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主要な結果:積極的な管理に優位性は認められず
この試験は、当初計画されていた5000人ではなく、3247人が登録された時点で、**有効性の見込みがない(futility)**と判断され、早期に中止されました。
主要な結果は以下の通りです。
1. 術後6ヶ月の機能障害(主要評価項目)
積極的介入群は通常ケア群と比較して、術後6ヶ月の機能障害を改善しませんでした。
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積極的介入群の平均WHODASスコア:17.7 (SD 20.1)
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通常ケア群の平均WHODASスコア:18.2 (SD 20.5)
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群間差(平均差):-0.5(95%信用区間, -1.9~0.9)
この差は、事前に設定された臨床的に重要な差である5ポイントには遠く及ばず、統計的に有意な差も認められませんでした。
2. その他の二次評価項目
機能障害スコアの他にも、試験では23の副次評価項目(生活の質、合併症、6ヶ月以内の死亡率など)が評価されましたが、いずれの項目においても有意な差は認められませんでした。
結論と臨床的意義
研究の結論
術中低血圧のリスクによって層別化された高いMAP目標値による血圧管理は、標準的な術中血圧管理と比較して、術後6ヶ月の機能障害を改善しませんでした。
臨床的意義
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この結果は、術中低血圧を避けるために、リスクに基づいて高いMAP目標値を一律に設定する積極的な戦略が、長期的な機能回復にプラスの影響を与えるわけではないことを示唆しています。
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麻酔科医が一般的に行っている、MAP 65 mmHg未満を回避することを目指す標準的なケアは、積極的な介入戦略と比較して術後の転帰を悪化させるものではない、ということが示されました。
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ただし、研究者は、今回の介入が「術中低血圧の予測モデルに基づいた層別化」に留まっており、真に個別化された管理(例:個々の患者の血圧の自動調節機能に基づく管理)ではなかった可能性も指摘しています。
したがって、術中の血圧管理は依然として重要ですが、単に目標値を引き上げることが長期的な患者の利益につながるという明確な証拠は、本研究からは得られませんでした。今後の研究では、より個別化された血圧管理のアプローチが、術後の機能回復を改善できるかどうかを検証することが課題となります。